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2013年8月

2013年8月25日 (日)

日本の文化史早わかり(縄文時代~安土桃山時代)

 1万年以上前から日本に住んでいた縄文人は、主食のドングリ等のシブを取るために世界に先駆けて土器(縄文土器)を発明しました。弥生時代には、米の貯蔵や調理に便利な弥生土器が作られます。大陸から伝わった青銅器は出雲を中心とした文化圏を形成しますが、大陸から鉄器を持った人々が九州を中心に勢力を伸ばし、出雲を征服し大和を中心にして多くの部族を従えながら国を統一していきます。3世紀半ば頃から古墳時代に入り、大和王権の力を誇示するため古墳の規模が次第に大きくなり、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)のような巨大古墳が造られました。

 縄文時代からの自然崇拝や弥生時代の五穀豊穣を願った祈りは、神を祀るための神社となり、王家の神聖化のため天照大神を中心として日本古来の神道が形成されていきます。また、538年に仏教が伝わると、7世紀前半に飛鳥寺や法隆寺等の寺院が建立され、仏教中心の飛鳥文化が生まれます。

 672年の壬申の乱により天皇の権威が確立し、遣唐使によりもたらされた中国唐初期の先進文化の影響により白鳳文化が生まれます。興福寺仏頭、法隆寺金堂壁画、高松塚古墳壁画がこの時代です。

奈良時代に入ると中央集権的な国家体制が整い、平城京を中心とし盛唐文化の影響を強く受けた国際色豊かな天平文化が花開きます。天武天皇が始めた国史編纂事業は、712年に古事記、720年に日本書紀として完成し、最古の歌集である万葉集の編さん、東大寺の大仏造立等が行われました。

 794年の平安京遷都から約1世紀の文化を、弘仁・貞観文化と呼びます。漢文学が発展し、空海や最澄がもたらした天台宗や真言宗が広まり密教が盛んになっていきます。都から離れた山中に室生寺金堂が建立されました。

894年に遣唐使が中止されたことにより、それまでの唐文化と貴族社会を中心に日本独自の文化である国風文化が生まれていきます。かな文字の発達により竹取物語や伊勢物語に続いて、源氏物語や枕草子など国文学の秀逸な作品が生み出されます。貴族の住宅は、日本風の寝殿造りとなり、浄土教の流行に伴い平等院鳳凰堂などの阿弥陀堂が造られます。

 1086年に白河上皇が政治の実権を握り院政時代になると、貴族文化は新たに台頭してきた武士や庶民の地方文化を取り入れはじめ院政期の文化が生まれます。浄土教の思想は全国に広まり、平泉の中尊寺金色堂、陸奥の白水阿弥陀堂、豊後の富貴寺大堂など、地方豪族が作った阿弥陀堂や浄土教美術が残されています。歴史物語の大鏡、源氏物語絵巻や伴大納言絵巻、信貴山縁起絵巻、鳥獣戯画等が生まれます。

 鎌倉文化は、貴族文化が庶民にまで広がると共に、武士の素朴で力強い文化がもたらされました。浄土真宗や禅宗が広まり、建築では禅宗様(唐様)の円覚寺舎利殿、軍記物語である平家物語、絵巻物が全盛期をむかえ蒙古襲来絵巻や春日権現験記などが制作されました。

 室町時代には、まず南北朝の動乱期を背景とした南北朝文化が生まれ、軍記物語の太平記が作られます。その後の北山文化は、三代将軍足利義光が建立した金閣が貴族の邸に用いられた寝殿造りと武家の好んだ禅宗寺院の禅宗様を折衷したもので、その特徴を表しています。続いて八代将軍の足利義政は応仁の乱後に京都東山に銀閣を建立し、禅の精神にもとづく簡素さと侘寂(わびさび)を基調とした東山文化になっていきます。

 信長や秀吉の安土桃山時代の文化を桃山文化と呼びます。戦国大名が好む豪快かつ華麗な文化が発達し、大阪城などの城郭建築がその象徴です。

古代の日本

  縄文時代の文化の中心は、東日本の落葉広葉樹林帯にあり数万人から数十万人が暮らしていました。縄文人は、主食としたドングリのシブを取るために世界にさきがけて土器を発明したのです。

弥生時代に農耕が始まると日本文化の中心は、西日本照葉樹林(常緑樹)帯に移っていきます。紀元前数百年頃に中国大陸から稲作と金属製造技術を持った弥生人が北九州に渡来し、縄文人を支配し混じり合っていきます。鉄器により水田が広がり常緑の森が切り開かれていくと、今までの採集と比べ生産力が格段に高まり人口が増えていきました。渡来人はその後の長い期間に、数十万人から百数十万に及び、大和朝廷の中心勢力となりその後の日本の歴史を作っていったと考えられています。

大陸からの弥生人は、大きく二次に分かれて日本に渡来したようです。農耕文化と青銅器を持った第一次弥生人(出雲人)がまず入ってきて、次いで大和朝廷を開く第二次弥生人がさらに優れた農耕技術と鉄器を持ってやってきます。彼らは、古事記によると九州に上陸し東へと勢力範囲を広げていったと考えられます。

吉野ケ里遺跡(よしのがりいせき)

 吉野ケ里遺跡は、弥生時代の環濠集落跡です。佐賀県のJR長崎本線の吉野ケ里公園駅から徒歩15分です。大型建築物や物見やぐら、城柵などが再現されています。広いので、見学に1時間は必要です。縄文時代の後半に、大陸から渡来した人々により北部九州に稲作や金属器が伝わり、紀元前4世紀頃に弥生時代が始まりました。稲作により蓄えた食料や土地を巡る争いが多くなり、戦いを繰り返す中でより大きな国にまとまっていったと考えられています。個人的には、住居地域が濠や柵で囲まれているのは、大陸の影響だと思います。争いの絶えなかった大陸では、住居地域を護り易いように壁で囲っています。弥生時代の渡来人により日本に争いが持ち込まれたのではないでしょうか。

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三内丸山遺跡

 三内丸山遺跡は、今から5500年前から1500年間続いた縄文時代の集落跡です。東北新幹線の新青森駅からバスで10分です。最も多い時で500人が住んでいたと考えられ、品種改良したクリを栽培していたそうです。竪穴式住居や掘立柱建物などが再現されています。写真は雪の残る遺跡ですが、縄文時代は今よりも暖かく、海に近かったようです。約1万年も続いた縄文時代の遺跡は、東日本に多く点在しています。

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百人一首

7世紀から13世紀の百人の和歌が集められた歌集で、大化の改新を成し遂げた天智天皇の歌に始まり、承久の乱に敗れ佐渡に配流された順徳院までの100首が収められています。1235年に藤原定家撰の百人一首がルーツで、他と区別するために小倉百人一首と呼ばれています。個人的に好きな歌や語呂の良い歌を下記します。

特に好きなのが61番歌です。一条天皇の御前で奈良の八重桜が献上された時、中宮彰子と藤原道長も同席していました。桜の受け取り役を紫式部から譲られた初出仕の女房が、道長より和歌を詠めと命じられ、みごとに答えたのがこの一首だったのです。道長以下同席していた人々が、感動のあまりどよめいたと記録に残されています。歌人としても有名な伊勢神宮祭主の娘が、鮮烈なデビューを飾った瞬間の華やかな情景が目に浮かびます。

2番歌:持統天皇「春過ぎて夏来にけらし白砂(しろたえ)の衣干すてふ天の香具山」

4番歌:山辺赤人「田子の浦にうち出()でてみれば白砂の富士の高嶺に雪は降りつつ」

7番歌:安倍仲麿「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」

9番歌:小野小町「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に」

17番歌:在原業平「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれないに水くぐるとは」

33番歌:紀友則「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」

61番歌:伊勢大輔「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」

77番歌:崇徳院「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思う」

94番歌:藤原雅経(まさつね)「み吉野の山の秋風さ夜更けてふるさと寒く衣うつなり」

日本の五大昔話

 日本の五大昔話は、「桃太郎」「カチカチ山」「舌切雀」「花咲か爺さん」「猿蟹合戦」で、江戸時代に赤本(絵本)として広まったそうです。他にも「因幡の白ウサギ」「かぐや姫」「こぶとり爺さん」「浦島太郎」「金太郎」「一寸法師」「鶴の恩返し」等の有名な昔話があります。日本最古の歴史書である古事記には「因幡の白ウサギ」が、平安初期の9世紀末に出来た日本最古の物語である竹取物語が「かぐや姫」、13世紀初めの宇治拾遺物語には「こぶとり爺さん」が、出ています。昔から語り継がれてきた物語です。

日記と随筆

かな文字で書かれた文学としての日記は、紀貫之の「土佐日記」に始まり、平安時代の中流女性貴族によって書かれた、藤原道綱の母の「蜻蛉日記」、「和泉式部日記」、「紫式部日記」、菅原孝標(たかすえ)のむすめ「更級日記」があります。これら女流日記文学は、日記の枠を超えた豊かな表現でつづり、清少納言の「枕草子」に代表される随筆文学へと続きます。

戦乱の時代に軍記物語が盛んに作られる一方、そうした世から逃れた西行が和歌を鴨長明は「方丈記」、吉田兼好は「徒然草」を残しました。「方丈記」と「徒然草」は「枕草子」と共に三大随筆と呼ばれています。

竹取物語

 竹の中から生まれた「かぐや姫」が老夫婦と幸せに暮らし、成長して天に帰っていくということしか記憶にありませんでしたが、読んでみると求婚者達に無理難題を出していく内容で、初めて読むものでした。

竹取物語は平安時代初期の九世紀末に成立しており、紫式部より元祖物語との称号を得ている日本最古の物語です。五人の求婚者は、天皇の息子である二人の皇子、右大臣、大納言、中納言と、上流貴族です。かぐや姫が要求したプレゼントを探し出してきた者と結婚するという条件が各人に出され、実在しない想像上の物を獲得するために多くが破滅に追いやられてしまいます。最後には、帝も登場しかぐや姫と心を通わせますが恋に破れてしまいます。帝は、月の国にかぐや姫を戻すまいと2000名の兵士で館の守りを固めるのですが、光り輝く天人の一団に戦意を喪失してしまいます。天の羽衣を着て月の都へ戻っていったかぐや姫は、帝に手紙と「不死の薬」を残していきますが、もう二度と姫に会えないのなら「不死の薬」になんの価値も無いと天に最も近い富士山頂で焼いてしまうのです。中国の皇帝が不老不死の薬を探し求め続けたのと違い、日本人独特の潔い美学が感じられます。

古事記と古代神話

 日本最古の歴史書「古事記」に日本の古代神話が語られています。神々の世界「高天原(タカマガハラ)」の夫婦神であるイザナギとイザナミが、日本列島を創造し、海の神や山の神、火の神など多くの自然神を生み出します。イザナミは、火の神を生んだ時に亡くなり、その後イザナギは太陽神「天照大神(アマテラスオオミカミ)」や風神「須佐之男神(スサノオノミコト)」などの神を生みだしていきます。

 乱暴をはたらくスサノオに怒った姉のアマテラスは、「天岩戸(あまのいわと)」に隠れてしまい、世界が闇につつまれました。神々は、アマテラスを呼び戻すために天岩戸の前で祭りを行い、アマテラスが戸を少し開けた時に、引き戻したのです。この事で、高天原から地上に追放されたスサノオは、「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」を酒に酔わして退治し、生贄にされそうになっていた姫を妻に迎えて出雲国を治めました。この神話は、昔話として何度も聞いた話ですが、古事記に載っていたのです。また、天岩戸伝説の時の鏡と勾玉、八岐大蛇を切り刻んだ時に体内から出て来た「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は、天皇家に伝わる三種の神器になっています。

 スサノオの子孫である「大国主命(おおくにぬしのみこと)」は、うさぎを助けた事により地上の国作りをまかされました。鰐に皮をはがされた兎を大国主命が助ける「因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)」も誰もが知っている昔話です。この物語は、隠岐島から因幡国(鳥取県の東部)に渡ろうとした兎が、兎と鰐の一族のどちらが多いかを比べようと持ちかけ、鰐を海に並べその背を伝って渡りきろうとした時に、兎の悪巧みが露呈し皮をはがれてしまうものです。大国主命の兄弟達は兎に嘘の治療法を伝え、苦しんでいた兎に正しい治療法を伝えたのが大国主命でした。兎のお告げ通り因幡国の姫を妻にめとった大国主命は、兄弟達の反感を買い二度も殺されてしまいますが、姫の母神により助けられ地下の黄泉の国に逃げます。地下の国を支配していたスサノオの試練をくぐり抜け、スサノオの娘を妻とし地上の国作りを命じられたのです。

賑わい栄えた地上の国を見ていた天上の天照大神は、自らの子が治めるべきと考え大国主命から地上の国を差し出させます。この国譲りの条件として高くそびえる宮殿を要求し、出雲大社が建てられました。天照大神の孫であるニニギノミコトが、地上の国を治めるために三種の神器を授かって日向の高千穂峰(宮崎県)に降り立ち、「天孫降臨(てんそんこうりん)」を果たしました。ニニギに嫁いできた姉妹の美しい妹(美人薄命)のコノハナノサクヤヒメとだけ結婚し、醜い姉(丈夫)を親元へ戻したことで、神であるニニギも人間と同様に寿命を持つようになったのです。ニニギの子である弟の山幸彦は、兄の海幸彦から借りた釣り針を失くしてしまい、海神の元に捜しに行き針を見つけます。地上に戻り兄に針を返しますが、許してくれない兄との争いに勝った弟が国を治める事になりました。この山幸彦の孫が、紀元前660年に初代天皇の神武天皇となるのです。

神武天皇は、天下を平定するために、宮崎の日向から東へ東へと進行し、反抗する勢力を倒し懐柔し奈良の橿原の宮に入って天下を治める事となります。この後は、第23代推古天皇まで、天皇の系譜やエピソードが語られています。

漫画のルーツ

 漫画のルーツは、鳥獣人物戯画にあると言われています。京都の高山寺に伝わる絵巻物で、京都国立博物館と東京国立博物館に収蔵されています。京都や奈良の寺社を巡っていると、多くの絵巻物を目にします。12世紀の「鳥獣人物戯画」に描かれた動物達は人間のような動作でマンガチックですが、吹き出しが付いていません。「源氏物語絵巻」や「信貴山縁起絵巻」の様に、絵と文字で物語が進行していく方式がより漫画に近いような気がします。

  海外の歴史有る教会に行くと、キリストの物語が絵や彫刻で教会内に刻まれていますが、文盲のために絵だけで表現したものと異なり、日本の絵巻物は娯楽的要素が強く文字による説明も付いていて日本独自に発展してきたものだと思います。

ところで、朝日新聞に1970年代の少女マンガランキングが出ていました。一位は池田理代子「ベルサイユのばら」、二位は山本鈴美香「エースをねらえ!」、三位はいがらしゆみこ「キャンディ・キャンディ」、四位は大和和紀「はいからさんが通る」、五位は美内すずえ「ガラスの仮面」でした。「ガラスの仮面」は、1976年に連載開始して、まだ結末を終えていない長編のギネスものです。他には、八位「パタリロ」、九位「スケバンデ刑事」八位「ポーの一族」、十二位「王家の紋章」があります。

少女漫画の原点は、1953年の手塚治虫の「リボンの騎士」に始まります。1962年の赤塚不二夫「ひみつのアッコちゃん」、1966年の横山光輝「魔法使いサリー」、1968年の浦野千賀子「アタックNO.1」などを経て、少女マンガが花開いた1970年代に突入します。

清少納言

今から約1000年前の平安時代に、一条天皇の中宮定子(藤原道隆の娘)に仕える才気あふれる女性がいました。清少納言が使える定子は10才年下でしたが教養深く、自身に溢れた晴れやかな后として、清少納言の憧れの人でもあり心が通い合う人でした。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」の流れるような文章で始まる「枕草子」は、定子の華やかな後宮での日々が感性溢れる言葉で綴られています。

現代と同じ感覚で面白いのは「なんでも人の事をうらやましがり、自分の身の上をこぼし、人の噂話が大好きで・・・、ほんのちょっと聞きかじったことを、元々知っていたように、とくとくと人に話すのも、ほんとうに腹立たしい。」や「めったにないものは、姑にほめられるお嫁さん。毛がよく抜ける銀の毛抜き。・・・」、「むしゃくしゃするものは、急ぎ物を縫うのに、うまく縫えたと思って針を引き抜いたら、なんと糸の端を結ぶのを忘れていたこと。また、裏返しに縫ってしまったこと。・・・」、「はらはらして困るものは、当人が聞いているのを知らずに、その人の噂話をした時・・・」、「体裁が悪いものは、他の人を呼んだのに、自分かと思って出てしまった時・・・」、「とたんに幻滅するものは、男も女も言葉遣いの卑しいこと・・・」、「世の中でやはり一番嫌なのは、人に憎まれること・・・」などなどです。

また、話し上手で人を引き付ける定子との即興の歌詠み、知的で機知に富むやりとりは、愛する人に認められる幸福に溢れているようです。また、後宮に出入りする男性貴族とのやりとりは、ユーモアやセンスに富み、馬の合う人との楽しい会話が目に浮かんできます。千年前に存在した現実の世界なのです。

993年に清少納言は定子の後宮に宮仕えを始め、995年に定子の父藤原道隆が病死すると権力は弟の道長に移っていきます。996年に定子の兄伊周(これちか)・隆家の従者が花山院(かざんいん)に矢を射かけるという事件により左遷され、999年に道長の長女彰子が入内し、1000年に定子が出産後に25歳で亡くなり清少納言は7年間の宮仕えを辞します。

紫式部

「源氏物語」の作者である紫式部は、宮仕えの回顧録である「紫式部日記」を残してくれています。定子が亡くなり清少納言が宮廷を去った5年後の1005年に中宮彰子のもとに宮仕えを始めた紫式部は、定子時代の華やかな後宮を懐かしむ貴族たち、その時代に永遠の生命を吹き込んでいる「枕草子」を越え、中宮彰子の時代を作る必要があったのです。清少納言の批評「清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人だったようです。あそこまで利口ぶって漢字を書き散らしていますが、その学識の程度はまだまだ足りない点だらけです。彼女のように、人との違い、つまり個性ばかりに走りたがる人はやがて見劣りし・・・」を紫式部日記に残しています。

出仕前は、源氏物語の作者として気取っていてインテリで人を見下す人と思われ、毛嫌いされていたのですが、後宮でうまく生きていく術を身に付け徐々に馴染んでいく様子を赤裸々に綴っているのは、人に見られない日記という安心感からでしょうか。日記は、彰子の初めての出産が間近な様子から始まります。

中宮彰子と紫式部が、夜を徹して源氏物語を豪華本に仕立てている様子が記されています。一条天皇が読むのを心待ちにしている源氏物語の続編を制作し、里帰りからのお土産にしようとしている、かいがいしい彰子が印象的です。その際、道長が「寒い中こんなことをなさる子持ちがいようか。」と言いながらも、上質の紙や筆などを持参して応援しています。その紙や筆を右から左に彰子が紫式部に与えると、道長が紫式部に「お前と言うやつは、うわべは取りすましているが、ちゃっかりしている。」と言っており、ほほえましい情景が見えてきます。

1011年に一条天皇が崩御、1016年に彰子長男が御一条天皇、1017年に二男が皇太子、紫式部は1019年頃まで彰子に宮仕えします。写真は国宝紫式部日記絵詞の格子からのぞいている紫式部です。2000円札の裏のデザインに採用されています。

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物語

平安時代初期の「竹取物語」は、日本で最も古い物語で「つくり物語」です。「古事記」や「日本書紀」、「日本霊異記」などに取り入れられた神話や伝説と異なり、作者の想像力から生み出された架空の物語です。これに対する「歌物語」は、和歌を中心に構成された物語で、「伊勢物語」が代表作です。物語は、平安時代に発生した文学の様式で、「竹取物語」の流れは「宇津保物語」「落窪物語」を経て、「源氏物語」に到りました。

国がまとめた歴史書(六国史)の後を継ごうとして書かれたのが、藤原道長を中心とする藤原氏の栄華を、はじめて仮名で書いた歴史物語である「栄華物語」でした。これに続いた「大鏡」も藤原氏の繁栄を描いた歴史物語です。

軍記物語としては、平将門の反乱を描いた「将門記」、平安時代の終わりに保元の乱や平治の乱が起こり、武士が歴史の表舞台に登場してきます。これを描いたのが「保元物語」や「平治物語」です。平清盛を頂点に平家の栄華と源氏に敗れた平家一門の悲劇を描いた「平家物語」や南北朝の動乱を描く「太平記」は軍記物語の代表作です。

この軍記物語の流れは、室町時代以降、「御伽草子」に代表される説話集になっていきます。

古典の出だしベスト5

流れる様な古典の出だしは、素晴らしく、覚えておきたい名文です。

  一位の枕草子は長く引用しました。「春は曙。やうやう白くなりゆく山際(やまぎは)すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、おかし。雨など降るも、おかし。秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとおかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。冬は早朝(つとめて)。雪の降りたるは、言うべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。」

  二位は、平家物語です。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅(さら)双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。おごれる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛(たけ)き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」

  三位は、方丈記です。「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人とすみかと、またかくのごとし。」

四位は、源氏物語です。「いずれの御時にか、女御・更衣あまた侍(さぶら)ひ給ひける中に、いとやむごとなき際(きわ)にはあらぬが、すぐれて時めき給う、ありけり。」

五位は、徒然草です。「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆく由(よし)なしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそもの狂ほしけれ。」

蒙古襲来絵巻(もうこしゅうらいえまき)

 教科書でお馴染の絵巻は、元の軍隊が博多に来襲した元寇を描いたものです。1274年(文永の役)と1281年(弘安の役)の2度の来襲を受け、防戦にあたった肥後(熊本)の竹崎季長(たけざきすえなが)が、自身の戦功をあらわすために描かせたものです。騎馬民族である元は、その強力な騎馬軍団により大帝国を築き上げたのですが、絵の様に元軍は騎乗していません。馬を船に乗せてこなかったのです。火薬を使用した最新兵器に苦戦しますが、九州の御家人が防戦し暴風雨が起こり元軍は敗退します。

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北野天神縁起絵巻

 菅原道真の伝記や北野天満宮の由来等を描いた絵巻です。右大臣の菅原道真は、901年に左大臣の藤原時平の策謀により大宰府に左遷され、903年に失意のままに亡くなります。左遷の際に「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」を詠みました。道真の死後、藤原時平や醍醐天皇の周辺では不吉な事が続き、それが道真の怨霊の仕業であると噂されます。この道真の怨霊の祟りを恐れてまつられた京都の北野天神は、のちに学問の神としてあがめられました。

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伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)

 12世紀に描かれたこの絵巻は、886年に大納言の伴善男(とものよしお)が、左大臣の源信(みなもとのまこと)を陥れようと平安京の応天門に放火し、事の真相が露呈して伊豆に流された事件を描いたものです。この事件により、政権序列第2位の左大臣源信は出仕しなくなり、源信逮捕の兵を差し向けた右大臣藤原良相は失脚、大納言伴善男は流罪、となり朝廷は混乱に陥ります。若い清和天皇が頼れるのは、祖父で政権トップの太政大臣藤原良房だけです。この時、藤原良房が清和天皇の外戚として臣下で初めて摂政となり、以降藤原氏に摂政が引き継がれ、藤原氏の繁栄が続いていくのです。結果的に藤原良房は、源氏に臣籍降下した嵯峨天皇の子である源信、弟の藤原良相、大友氏の伴善男などのライバルを追い落とす事に成功したのです。

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信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)

 3巻に3つの物語が書き表された12世紀の作品です。この絵巻は、現在のアニメの様に、時間の流れを人の動きの軌跡で見せたり、豊かな人物の表情や動作、遠くや近くの景色や人の動きによりシーンが進んでいく感覚を味わう事ができます。

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絵巻物

 四大絵巻は、「源氏物語絵巻」「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵巻」「鳥獣人物戯画」です。現在、日本を代表する文化として認識されている漫画やアニメは、手塚治虫が切り開いたものですが、平安時代から始まった絵巻がそのルーツだと思います。文章で書かれた物語が好評を博すると、その物語を絵と言葉で絵巻物として書き表して、より多くの人に広めていったのだと思います。

 私の好きな絵巻物ベスト5は、一位源氏物語絵巻、二位信貴山縁起絵巻、三位伴大納言絵巻、四位北野天神縁起絵巻、五位賢学草紙絵巻(道成寺縁起絵巻)です。

源氏物語

 今から1000年前に紫式部により書かれた源氏物語は、平安王朝貴族の世界初の長編恋愛小説です。物語は、運命判断により皇族から臣下に下され源氏姓を賜った光源氏と彼を取り巻く女性達とのロマンスを中心に進んでいきます。幼くして母を亡くした光源氏は、母に似た女性に憧れ、母桐壺に似ている父帝の皇后である藤壺と密会して後の冷泉帝が生まれます。自分が光源氏の子供である事を知った冷泉帝より准太上天皇(上皇と同じ待遇)に推され、源氏一族の栄華は絶頂に達します。後半は、因果応報の薫の君や孫の匂宮が主人公で物語が進んでいきます。

源氏物語全文を読むのは大変との思いが強く、まずは、角川文庫ビギナーズ・クラシックスの源氏物語を読みました。その後、瀬戸内寂聴訳の全十巻を読み始めましたが、あっという間に全54章を読み終えてしまいました。恋愛小説なので女性向きであり男性が読んでも面白くないと思っていたのですが、交錯する多くの登場人物の心理描写が詳細に書き込まれており、現代でもベストセラー小説になり得るものでした。

また、この物語を鑑賞する貴族層に向けた絵画物語が作られました。現存する最古の国宝源氏物語絵巻は12世紀前半の作品で、無表情にも見える「引目かぎ鼻」の微妙な表情が、逆に想像をかきたててその場の情景が浮かんでくるようです。源氏物語の主人公光源氏の息子夕霧への手紙を奪い取ろうとする嫉妬に狂った妻を配置した写真の夕霧の場面は、素晴らしいものです。物語とその象徴的な絵が挿入された源氏物語絵巻が、長い間人気を博したのがうなずけます。

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利用したお得なキップ

(1)JR

 学生の長期休み時に発売されている「青春18きっぷ」、JR東日本の「大人の休日倶楽部」会員限定のキップがお得です。「フリーきっぷ」や「周遊きっぷ」は、余程うまく条件が合致しないとお得にはなりません。

 「青春18きっぷ」は、春・夏・冬休み時期の限定使用で、5日分11500円です。1日2300円で乗り放題なので、結構遠くまで行けます。夏休み時期は、東京から夜行列車が出ているので京都方面や東北方面に朝到着が可能です。朝東京を出発して各駅を乗り継いでも、15時頃には京都に到着出来るので、時間と体力に余裕が有れば非常に割安です。

 50歳になったら「大人の休日倶楽部」に入会しましょう。12000円で3日間JR東日本管内が乗り放題の「会員パス」はお得です。現在は、少し値段が上がって4日間・5日間乗り放題となっていますが、働いているとそんなに連続で休む事はできません。新幹線や特急も乗り放題なので、自宅を起点に観光地まで毎日往復して宿泊費を節約しました。

 JR四国が発売している「四国再発見早トクきっぷ」は、お得でした。土曜休日1日間普通列車乗り放題で2000円です。各駅の乗り継ぎがあまり良くありませんが、うまく乗り継いで2.5倍分乗車できました。

(2)高速バス

 夜行高速バスが、時間も節約出来てお得です。3列でリクライニング140度が可能なバスであれば、眠り易くて疲れません。一般道だと振動が伝わってきますが、高速に入れば気にならなくなります。耳栓とアイマスクは必須です。東京23時頃出発して京都6時着、7000円位です。

(3)旅行会社

 JR+宿泊のお得なプランが旅行会社から沢山出ています。二人以上でシーズンを外すと割安な価格でホテル宿泊込みの旅行が可能です。旅行の20日前になるとキャンセル料が発生するので注意が必要です。列車の時間変更もキャンセル扱いです。

ビギナーズクラッシック・ベスト10

 源氏物語などの古典を読むのは大変ですが、角川書店の「ビギナーズ・クラシックス日本の古典」は、古典の入門書として読み易い書物にまとまっています。20冊以上が出版されていますが、特にお奨めの10冊を紹介します。

一位は、「とりかへばや物語」です。作者不詳の12世紀末頃成立の物語です。男女を取り違えたような兄弟が、運命のいたずらに苦しみながらも、お互いのそれまでの人生を交換して栄華をきわめていくものです。後書きに、あまりの面白さに電車を乗り過ごしてしまった。と書かれていたのですが、私も全く同じで笑ってしまいました。古典のなかで一番面白い物語でした。

二位は、「枕草子」です。一条天皇の中宮定子に仕えた清少納言の作で、1001年頃成立した王朝女流文学です。春はあけぼのから始まる名文は素晴らしいものです。癪に障るもの、似合わないもの、嫌のものなどの解説がおもしろく、現在と全く同じような感覚であることに驚きました。

三位は、「竹取物語」です。平安時代初期の九世紀末の作品で、紫式部より元祖物語の称号を得ている日本最古の小説です。記憶に残っているロマンチックな内容と大幅に異なる「かぐや姫」は、風刺を利かせ斬新な展開を見せるものでした。

四位は、「堤中納言物語」です。平安末期から鎌倉時代の読者である公家の間で生き残ってきた10作品を集めた短編集です。必ず最後に思いがけない方向に話が変化するおもしろさがあります。美しい姫が毛虫をかわいがる話、相手を取り違えて結ばれてしまう二組の話、恋人の姫が白粉(オシロイ)と墨を間違えて顔に塗る話などよりなります。

五位は、「紫式部日記」です。一条天皇の中宮彰子に出仕した、源氏物語作者である紫式部の平安時代宮廷生活の回顧録で1000年頃の作です。彰子男子出産の出来ごとや藤原道長のようす、同僚女房や紫式部の心境などが書かれています。藤原道長が源氏物語の原稿を勝手に持ち出したり、源氏物語の新刊を一条天皇が楽しみにしていたことが書かれていて興味深い内容です。(写真は、本の表紙です)

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六位は、「大鏡」です。平安末期の院政時代の作で、お寺の法会に集まった二人の老人である大宅世継(おおやけよつぎ)と夏山繁樹(なつやましげき)が語る藤原摂関時代の歴史物語です。特に全盛期の藤原道長に焦点を合わせ、興味深い逸話をふんだんに盛り込んでいます。

 七位は、「うつほ物語」です。作者未詳、10世紀後半成立の我が国初の長編物語で、源氏物語に先行し長編物語の世界を切り拓いた平安時代の王朝物語の一つです。「うつほ」とは空洞のことで、木の空洞にこもり秘琴の伝授を受けた場所です。貴族藤原4代にわたる秘琴の伝授を主題とし、絶世の美女あて宮をめぐる求婚物語、源氏と藤原氏の皇位継承をめぐる話などからなり、小説らしいハラハラドキドキ感があります。

八位は、「和泉式部日記」です。恋多き女である和泉式部が、冷泉天皇(れいぜい)の親王との恋を、1008年に綴った日記です。多くの手紙のやり取りを重ねながら、愛が深まっていく当時の恋愛の様子が分かります。恋多き女というより、あまりにも美人のため多くの男たちに求愛された女だと思います。日記執筆後に中宮彰子(しょうし)に仕え、同僚となった紫式部の「紫式部日記」に人となりが語られています。

 九位は、「蜻蛉日記」です。藤原道綱母(ふじわらみちつなのはは)作で、10世紀後半成立の日記です。藤原兼家(ふじわらかねいえ)との結婚生活を、蜻蛉(かげろう)のようにはかないと嘆く内容です。藤原兼家は後に関白となり摂関家を引き継ぎ、正妻となっていく時姫との間に生まれた男子が摂関家を引き継いでいきます。当時の一夫多妻制、通い婚で自分への愛が薄れていくはかない結婚生活を綴った内容です。後世に人に見られていると知ったら、嘆きがさらに深くなりそうです。

十位は、「更級日記」です。菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)作で、11世紀中頃の作品です。少女時代に上総国(千葉)で過ごし、上京後に憧れの源氏物語を読みふけったことなどが綴られています。その後、宮家へ出仕、18年間の結婚生活の後に夫と死別と、日々の出来事や感じたことが日記として綴られています。千年前の女性が書いた内容を、違和感無く読める同じ日本人としての連続性を感じるのでした。

他には、7世紀から8世紀の和歌4500首を収めた「万葉集」、868年頃生まれた紀貫之(きのつらゆき)の「土佐日記」、今は昔で始まる日本最大の説話集「今昔物語集」、“むかし男ありけり”で始まる「伊勢物語」、足利幕府の成立と南北朝などを描く太平記、吉田兼好の徒然草、藤原道長の「御堂関白記」、“行く河の流れは絶えずして”で始まる鴨長明の「方丈記」、“祇園精舎の鐘の声”で始まる「平家物語」などがあります。源氏物語は、ぜひ全編を読んでほしいのでランク外としました。瀬戸内寂聴の全10巻がお勧めです。

奈良の鹿

 奈良公園の鹿は、国の天然記念物に指定されている野生動物で飼育されてないそうです。鹿は春日大社の神使とされており、約1200頭が生息しているとのことです。鹿煎餅の売店の近くで鹿が待ち構えており、大きな牡鹿が近寄ってくると少し恐怖を感じます。写真上は、花壇や植木を荒らす早朝の鹿です。写真上は、東大寺に有った鹿注意の看板です。かむ・たたく・突く・突進に注意です。

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国宝と特別史跡

 国宝建造物である神社仏閣の拝観から始まった旅は、国宝仏や特別史跡にも興味が広がっていきました。2012年で国が文化財保護法で指定した国宝建造物は217件、国宝美術工芸品は868件(内国宝仏126件)、国宝と同格の特別史跡は61件、特別名勝は35件あります。他に国が指定した重要文化財や史跡名勝、都道府県が指定したものなど数多くあるのですが、国宝や特別史跡を中心に訪ねています。

 特別史跡を分類すると、古墳は8件で、奈良県の石舞台古墳、キトラ古墳、文殊院西古墳、高松塚古墳、巣山古墳、約600基の古墳群よりなる和歌山県和歌山市の岩橋千塚古墳群(いわせせんづか)、石室内ほぼ全面に彩色壁画の有る王塚古墳(福岡県)、西都原古墳群(宮崎県)があります。写真は高松塚古墳です。Photo_87

 古代遺跡は5件で、青森県の三内丸山遺跡、秋田県の大湯環状列石、長野県の縄文時代の尖石石器時代遺跡(とがりいし)、静岡県の登呂遺跡、佐賀県の吉野ケ里遺跡です。他に城・城跡、寺・寺跡、庭園、宮跡などがあります。初めて知る史跡も有り、古墳と古代遺跡もぜひ全てを訪れたいものです。

好きな神社(国宝)ベスト6~10

 六位は、京都の上賀茂神社です。古代豪族賀茂氏の氏神で平安京の守護神として崇められました。43棟の国宝重文建築が立ち並び、特別拝観時には神職が神社の由来などを説明し、国宝の本殿・権殿を拝む事ができます。

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七位は、大阪府の住吉大社です。境内が開放的で明るい雰囲気です。屋根に反りが無い住吉造の朱に映えた4つの本殿の周囲を巡る事ができます。

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八位は、奈良の石上神宮です。物部氏が代々祭祀を行い大和政権の武器庫としての役割も果たした神社です。372年に百済王から神功皇后へ贈られた七支刀は基本的に非公開ですが、2013年春の東京国立博物館の大神社展で拝観できました。閑静な山の辺の道沿いにあります。

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九位は、京都の宇治上神社です。現存する最古の神社 (1060年頃創建)で、宇治平等院のすぐ近くです。

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十位は、霊廟を代表して栃木の日光東照宮です。徳川家光により作られた家康の霊廟で、絢爛豪華です。多くの国宝重文建築物が残されており、有名な三猿や眠り猫の彫刻など花鳥霊獣の装飾は一度見ておきたいものです。

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好きな神社(国宝)ベスト1~5

 国宝に指定されている神社は、27神社で31社も有ります。また、日光東照宮を代表とする戦国時代以降に建立された霊廟が、2010年に国宝に指定された久能山東照宮を含め7ヶ所にあります。

 一位は、島根県の出雲大社です。神社で最も高い高さ24mですが、平安時代の口遊(くちずさみ)で高層建築ベスト3が雲太(出雲大社)・和二(東大寺大仏殿)・京三(京都御所大極殿)と歌われており、高さは48mあったと考えられています。この模型などの有る隣接の古代出雲歴史博物館は必見です。

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 二位は、広島県の厳島神社です。海に張り出した社殿と大鳥居の朱色が美しい神社です。フェリーで宮島に渡り、焼き牡蠣を食べたり、干潟に降りたりと楽しい一大観光地です。

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 三位は、熊本県の青井阿蘇神社です。2011年5月に行ったのですが、境内には鶏が放し飼いで、楼門と拝殿はかやぶき屋根です。国宝建築物のかやぶき屋根は初めて見ました。思わず笑みのこぼれる、ほのぼの神社です。

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 四位は、岡山県の吉備津神社です。入母屋造を二つ並べた屋根は独特で、大きな本殿は荘厳です。小さな神社本殿が多い中、その大きさに少しビックリしました。本殿右手の廻廊は情緒があります。

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 五位は、奈良の春日大社です。藤原氏の氏神として栄えた神社で、春日神社の総本山です。春日山原始林を背景に奈良公園内の山の斜面にあるため、参道を上っていきます。本殿特別参拝にて本殿を必ず拝んでください。朱塗りの鮮やかな社を満喫できます。多くの至宝が展示されている宝物殿にもぜひ立ち寄ってください。

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好きなお城(国宝)ベスト3

 国宝のお城は4ヶ所で、全て天守閣が残っています。天守閣の残っている重要文化財のお城は8ヶ所です。

 一位は、松本城(長野)です。桃山時代に造られた5層6階の漆黒の天守閣は美しく、平城のため大きな水濠や石垣が構築されています。お濠に映る天守閣は、威風堂々としています。

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二位は、姫路城(兵庫)です。江戸時代初期に建てられた天守や櫓(やぐら)等多くが現存し、内曲輪の通路が迷路のように曲がりくねった平山城です。世界遺産に登録されています。平成26年度まで大天守の修理を行っているので、白鷺城とも言われる美しい外観が見られずに残念ですが、小天守内部は見学可能です。城内広いので、見学にけっこう時間がかかります。写真は本丸改修中の姫路城です。

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三位は、彦根城(滋賀)です。琵琶湖から水を引いて濠とし、小高い丘に作られた平山城です。小振りですが、城郭の多くが残っており完成された城を見る事ができます。

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次点は、犬山城(愛知)です。木曽川の崖上に建つ平山城です。天守から廻縁に出て景色を楽しむ事ができます。

好きな三重塔(国宝)ベスト5

 国宝の三重塔は13塔有ります。

 一位は、薬師寺の東塔です。各層に庇のような裳階(もこし)が付いているため、六重に見える塔は、初層から三層の屋根幅が小さくなっており安定感が有り、とても美しくバランスの取れた塔です。730年に創建され、高さ34.1m、初層には何も残されていませんでした。

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二位は、滋賀県西明寺の三重塔です。高さ23.7m、桧皮葺、鎌倉時代後期の建立ですが、初層内部に鮮やかな彩色仏画が残っており、内部を特別公開により拝観する事が出来ました。内部は数人しか入れない広さで、あまりにも鮮やかに残る700年前の極彩色の曼荼羅壁画に大感激です。

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 三位は、長野県別所温泉にある安楽寺の八角三重塔です。1290年代の建立の日本最古の禅宗様建築、高さ18.8m、桧皮葺、初層に裳階が付いて四重に見えます。三重塔の常識を覆す日本に残る唯一の八角形の塔で、国宝の三重塔は多くて13塔有りますが、異色を放つこの塔に衝撃を受けました。苔むしたこけら葺きの屋根は、褐色の木造の塔に緑のアクセントを付けて古びて趣のある塔です。屋根の苔が掃除されている時は、塔全体が褐色で山に溶け込んでいます。

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 四位は、法起寺の東塔です。706年建立の現存最古の三重塔で、法隆寺から田んぼの中を歩いて15分位で到着です。田んぼに囲まれた寺領の木々の上から顔を少し出していて、のどかな感じがします。

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 五位は、当麻寺の東塔と西塔です。8世紀頃建立の国宝の東塔と西塔の両塔が揃って残っています。2011年に初めて写真の東塔の初層が特別公開されましたが、彩色は残っていませんでした。

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 他には、大法寺(長野)、明通寺(福井)、常楽寺(滋賀)、浄瑠璃寺(京都)、興福寺(奈良)、一乗寺(兵庫)、向上寺(広島)があります。

好きな五重塔(国宝)ベスト5

 国宝の五重塔は11塔あり、内2塔は屋内にある小塔です。初層内部を見れたかどうかで印象が大きく左右されます。

 一位は、法隆寺の五重塔です。日本最古の五重塔で、680年頃の建立で法隆寺に現存する世界最古の木造建築の一つです。高さ約32.6m、初層から五層に向かって屋根の幅が小さくなり、どっしりとした安定感が有ります。初層に釈迦入滅を悲しむ弟子の場面などの塑像群を格子戸越しに見る事ができます。

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 二位は、東寺の五重塔です。日本で最も高い54.8mの塔は、遠くから良く見えて京都に着くとこの塔が歓迎してくれているようです。東寺(教王護国寺)は、平安京が造られた時に官寺として796年に創建され、その後五重塔は弘法大師空海により造営されますが、火災のため幾度も焼失し現在の塔は1644年に建てられたものです。初層内部は、特別公開により比較的容易に拝観可能で、多くの仏像や彩色の残った壁面等を見る事ができます。

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 三位は、山口県瑠璃光寺の五重塔です。1442年建立、高さ31.2m、桧皮葺(ひわだぶき、ヒノキの樹皮で屋根をふくこと)の屋根が山の緑に映えて、重厚なたたずまいです。

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 四位は、山形県羽黒山の五重塔です。修験道(しゅげんどう)信仰の出羽三山の中の羽黒山にポツンと立っています。廃仏毀釈により寺は無くなり、出羽神社の参道の杉並木の中に立っています。1372年再建、高さ29.2m、こけら葺き(木材の細片で屋根をふく)の屋根に雪が積もって綺麗でした。

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 五位は、室生寺の五重塔です。二番目に高い塔である興福寺の五重塔や、醍醐寺の黒々とした五重塔も桜に映えて良かったのですが、屋外の五重塔として最も低い16.2mの室生寺を五位に選びました。800年頃の建立で2番目に古い塔ですが、木部が朱に塗られた鮮やかな塔が山の木々に映えます。

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 他には、屋内の小塔を除くと醍醐寺(京都)、海住山寺(京都)、興福寺(奈良)、明王院(広島)があります。

好きな八角円堂(国宝)ベスト3

国宝の八角円堂は5堂で、個人の菩提を弔うためにその多くが建てられました。円に近くなるように八角形をしています。

 一位は、法隆寺夢殿です。夢殿と本尊の救世観音は、聖徳太子の祟りを鎮めるために作られたとも言われています。救世観音は、明治時代にフェノロサにより見出されるまで白衣でぐるぐる巻きにされていた秘仏で、光背が頭に直接釘で打ち込まれています。夢殿と聞くと、秀逸な漫画である山岸涼子の日出処の天子を思い出します。

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 二位は、興福寺北円堂です。特別拝観時には、運慶作の仏像を拝む事ができます。興福寺境内には江戸時代に作られた重文の南円堂を含め八角円堂が2堂あります。南円堂は北円堂より二回り大きく、運慶の父康慶による本尊の不空羂索観音菩薩坐像があり、拝観出来るのは10月17日の年に一回のみの開扉ですが、2013年の春は南円堂創建1200年記念としてお堂の中に入って拝観する事ができました。

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 三位は、栄山寺八角円堂(奈良)です。藤原不比等の長男で南家創始者の藤原鞭麻呂が、創建したお寺で、八角円堂は夢殿に並ぶ奈良時代8世紀の古いものです。JR和歌山線五条駅からは交通の便が悪いので、貸自転車で行ってきました。

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他には、広隆寺桂宮院本堂、法隆寺西円堂があります。

好きな多宝塔(国宝)ベスト3

 多宝塔は、単層の宝塔に方形の裳階(もこし)を付けた塔で密教寺院に多く、6塔が国宝に指定されています。

 一位は、根来寺大塔(和歌山)です。高さ約40mで国宝の多宝塔の中で最も大きく、内陣は円形で大日如来像を中心に立体曼荼羅を表しており、目を見張る素晴らしさです。根来寺の僧兵を中心に根来衆と呼ばれており、秀吉によって滅ぼされ、大塔と大師堂(重文)が焼け残りました。大師堂、大塔、大伝法堂が並んで建っている様は、威風堂々としています。

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 二位は、石山寺多宝塔(滋賀)です。源頼朝寄進により1194年に建立された最も古い多宝塔です。石山寺は、紫式部が源氏物語を書き始めたことで有名なお寺で、多くの伽藍を有しています。

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 三位は、慈眼院多宝塔(大阪)です。石山寺と金剛三昧院の多宝塔と共に三名塔の一つとされています。高さ約10mと小さく細身の塔で、桧皮葺の屋根が庭の緑に溶け込んでいます。

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他に、金剛三昧院(和歌山)、長保寺(和歌山)、浄土寺(広島)の多宝塔があります。

好きな阿弥陀堂(国宝)ベスト5

 浄土信仰の阿弥陀如来を安置した堂です。国宝阿弥陀堂は、浄土信仰の盛んだった11世紀から13世紀に建立されており、9堂の国宝が残されています。

 一位は、白水阿弥陀堂(福島)です。屋根は美しくなだらかで、とちの木で葺かれており、堂内部には一部に極彩色が残っています。蓮の池に映えてポツンと建つお堂は1160年の建立です。

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 二位は、宇治平等院鳳凰堂(京都)です。池に映る左右対称の鳳凰堂が、極楽浄土とはこのようなものと思わせてくれます。併設の鳳翔館ミュージアムでは、屋根の鳳凰や空を舞う雲中供養菩薩像を間近で見る事ができます。

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 三位は、鶴林寺太子堂(兵庫)です。桧皮葺の茶色の屋根が美しい太子堂は、瓦葺きの国宝本堂の右側に優雅な姿で建っています。内部の壁画は、特別拝観時にうっすらとしか見えませんでしたが、新宝物館に復元されています。

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四位は、浄土寺浄土堂(兵庫)です。背の高い阿弥陀三尊立像を納める阿弥陀堂の外観は瓦葺きで端正ですが、内部は豪快な木組みで屋根裏を見せています。1192年の建立で、堂と像共に国宝です。駅からはコミュニテーバスがありますが、本数が少ないので下調べが必要です。徒歩だと1時間です。

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五位は、富貴寺大堂(大分)です。平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂です。内部には極彩色が一部残されており、九州最古の木造建築で12世紀の建立です。宇佐神宮や真木大堂も一緒に巡る大分交通の観光バスがお勧めです。

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他に、中尊寺金色堂、浄瑠璃寺九体阿弥陀堂、法界寺阿弥陀堂、金蓮寺弥陀堂(愛知)、大宝寺本堂(愛知)があります。

好きなお寺ベスト5(京都・奈良以外編)

 一位は、兵庫の鶴林寺です。西の法隆寺とも呼ばれており、大伽藍を有しています。桧皮葺の屋根が美しい国宝太子堂は、優雅で身飽きない美しい姿です。1112年建立の太子堂再建900年行事で2012年に開館した新宝物館は、鶴林寺の魅力をより一層高めてくれます。

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 二位は、兵庫の浄土寺です。平家南都焼き討ち後の東大寺再建で有名な重源が1192年に創建しました。山の西側斜面端に作られた浄土堂は、三尊像の背面から西日を取り入れる構造となっており西方極楽浄土の阿弥陀如来を表しています。

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 三位は、長野の善光寺です。百済の聖明王から伝えられた日本最初の仏像は、欽明天皇が蘇我稲目に与えましたが、廃仏派の物部氏に奪われて川に捨てられ、それを本田善光が持ち帰り善光寺の本尊になったと言われています。高さ27m・奥行53mの堂々たる本堂に絶対秘仏として祀られています。

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四位は、岩手の中尊寺です。金色堂以外にも境内に多くの仏像や美術品が残されており、見応えがあります。テレビで良く目にするのは、金色堂を覆う建物の外観で、金色堂自身はガラス越しに見る、小さなお堂です。

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五位は、鎌倉の建長寺です。日本で最初の禅宗寺院で鎌倉五山の第一位です。広い境内に、三門、仏殿、法堂などの伽藍が一直線に中国式に並んでいます。

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好きな京都のお寺ベスト6~10

 六位は、法界寺です。地下鉄東西線石田駅から徒歩20分の法界寺は、訪れる人も少なくひっそりとしています。然しながら、国宝阿弥陀堂の阿弥陀如来坐像国宝は像高2.8mで、その堂々とした体躯と内部の荘厳な雰囲気にちょっとびっくりです。

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 七位は、金閣寺です。金色に輝く金閣寺は、京都修学旅行の定番コースですが、やはり外せません。ピカピカの金閣が池に映える様は、とにかく美しいのです。室町幕府三代将軍足利義満が造営したもので北山文化を象徴する建物です。1955年の再建ですが、古都京都の文化財の一つとして世界遺産に登録されています。

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 八位は、高山寺です。苔むした参道を上っていくと右側に高山寺石水院(国宝)があり、左側には日本最古の茶園があります。漫画のルーツとして有名な「鳥獣人物戯画(複製)」を見る事が出来ます。紅葉の時期に再度訪れたい静かなお寺でした。

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 九位は、宇治平等院鳳凰堂です。10円硬貨でおなじみの鳳凰堂は美しく1053年に藤原道長の息子頼道により建立されました。堂と像共に国宝で、併設の鳳翔館も必見です。定朝の代表作である阿弥陀如来坐像とは相性が悪く、三度訪れましたが順番待ちや工事中などにより堂内で拝観できていません。

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 十位は、清涼寺です。本堂の中国伝来の釈迦如来立像や、霊宝館の阿弥陀如来三尊像、紅葉時期の弁天堂は素晴らしいものです。一切経蔵では、チベットのマニ車と同様に輪蔵を1回転させると1回経を唱えたと同じ御利益が得られるとのことので、ぜひ試してください。

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好きな京都のお寺ベスト1~5

一位は、三十三間堂の名で親しまれている1164年創建の蓮華王院本堂です。平忠盛が鳥羽上皇に命じられて造営した1000体の観音像を安置した観音堂の先例にならって、後白河上皇が平忠盛の息子の平清盛に造らせた寺院で、これにより清盛は上皇の覚え良く出世の階段を駆け上がっていきます。1000体の千手観音立像(重文)と1体の千手観音座像(国宝)、国宝の二十八部衆や風神雷神像が壮大なスケールを作り出しています。本堂は、1266年の再建で柱間が33あることより三十三間堂と呼ばれ、長さ118mの国宝建築物です。

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二位は、東寺です。平安京遷都に伴い桓武天皇により建立された官寺で、823年に空海に下賜されました。講堂内は21体の仏像で曼荼羅が立体的に表現されており、その圧倒的迫力に息を飲みます。京都に到着すると目に入る五重塔や金堂・大師堂・西院御影堂の国宝建築物も秀逸です。

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三位は、銀閣寺です。室町幕府八代将軍の足利義政が築いたもので、東山文化を代表する建築です。庭の白砂とのコントラストがいぶし銀の銀閣を一層際立たせてくれます。特別拝観時には、義政の住居である東求堂内部の四畳半の書院造りの書斎などに立ち入る事ができます。

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四位は、西本願寺です。中心となる御影堂(重文)は1636年の再建で高さ30m、幅56mという堂々たる建物です。秀吉が築いた伏見城遺構の国宝唐門や秀吉の邸宅である聚楽第遺構の国宝飛雲閣は見事です。飛雲閣と書院・対面所は、参拝教科部に電話で申し込めば拝観可能です。朝6:00(夏は5:30)から御影堂や阿弥陀堂内でのお参りが可能なので、夜行バスで早朝京都駅に着いたら、駅から近い西本願寺を観光のスタートにしてください。

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 五位は、知恩院です。高さ24mの日本最大の三門は、特別公開時に上る事ができ、彩色が多く残っています。国宝の三門や本堂など多くの伽藍からなる壮大な寺院です。現在残っている伽藍は、江戸時代以降の建立で開基は法然です。

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好きな奈良のお寺ベスト6~10

 六位は、当麻寺です。白鳳時代の当麻氏の創建で、中将姫伝説の当麻曼荼羅は中世に熱烈な信仰を集め本尊となっています。曼荼羅厨子の右側面に安置されている中将姫像は生きているようで、ドキッとしました。白鳳仏など多くの仏像を見る事が可能で、東塔と西塔の両古塔を揃って見る事の出来る唯一のお寺です。五木寛之の百次巡礼で初めて知って訪れた当麻寺は、文化財に溢れた素晴らしいお寺でした。

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 七位は、長谷寺です。仁王門から本堂まで登廊の階段が折れ曲がって延びていて、風情が有ります。江戸時代に再建された国宝本堂の本尊は、木造十一面観音立像(重文)で、像高約10mです。特別公開では、像を見上げながら足元で拝観する事が可能です。春は牡丹が咲き乱れており、花の寺とも言われています。

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 八位は、室生寺です。昔より女性の参拝も受け入れてきたことから女人高野と呼ばれていました。石段を上った先の金堂には、木造十一面観音立像他多くの仏像が並んでいます。その先の石段をさらに登ると小さな五重塔が立っています。長谷寺の牡丹と室生寺のシャクナゲが咲く春がお薦めです。山の緑から元気をもらえます。

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 九位は、秋篠寺です。寺内は苔むした緑に覆われており、清々しい気持にさせてくれます。国宝本堂に安置された伎芸天立像(重文)は、優しい気持が伝わってくる仏像です。訪れる人も少なくゆったりとした気分で拝観できます。

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 十位は、元興寺(がんごうじ)です。日本最古の本格的仏教寺院である法興寺が平城京遷都と共に移転したものです。正面には国宝極楽堂、その後ろの国宝禅室には、日本で最古の木材が使用されているという事で最近話題となりました。近鉄奈良駅から興福寺の脇を通って新薬師寺に行く途中の住宅街にあります。

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好きな奈良のお寺ベスト1~5

 一位は、法隆寺です。607年に聖徳太子が創建し670年に焼失、その後再建された約1300年前の世界最古の木造建築群を有するお寺です。五重塔や金堂、夢殿等の建築物と仏像彫刻等の多くの素晴らしい宝を有しています。国宝・重文の建築物だけでも55棟あり、美術品は2000点以上です。1日かけてじっくり見るというより、事前に見たいものを決めて、何度も訪れたいお寺です。

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 二位は、興福寺です。中臣鎌足の子の藤原不比等が平城遷都と共に現在地に寺を移し、皇族以外で初めて皇后となった不比等の娘光明皇后は、聖武天皇との早世した皇太子を想い阿修羅像を設けたと伝えられています。興福寺は藤原氏の氏寺として氏神である春日大社と共に、僧兵を擁する大勢力となり朝廷に強訴したため、延暦寺と共に南都北嶺(なんとほくれい)と恐れられました。近鉄奈良駅に近く、多くの建築物や国宝館の至宝を見る事のできる興福寺は何度も訪れたい寺院です。

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 三位は、東大寺です。修学旅行での定番コースは奈良の大仏見学です。高さ47.5mの世界最大の木造古建築である大仏殿と、高さ15mの盧舎那仏坐像は、やはり圧巻です。三月堂の不空羂索観音立像(ふくうけんさく)は、新しく出来た東大ミュージアムの明るい照明の下で一時期見る事ができました。現在は三月堂に戻り、天井の低い堂内で人を圧倒するような迫力で安置されています。また、戒壇院の四天王立像は、あまりにも有名なあの憤怒の形相ですが、訪れる人は大仏殿に比べると格段に少なくなります。

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 四位は、唐招提寺です。聖武天皇の招きに応じて唐より艱難辛苦のうえ来日した鑑真和尚が、759年に律宗の道場としたのが始まりです。南大門から正面に見える国宝金堂内には、圧巻の国宝仏三体が安置されており、平城京から移設された講堂や校倉造の宝蔵など兵火を逃れた貴重な建築物が多く残っています。

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 五位は、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)です。高さ34mの国宝蔵王堂は、木造古建築では東大寺大仏殿に次ぐ大堂で、桧皮葺の屋根は趣があります。役行者(えんのぎょうじゃ)開基の修験道の総本山は、多くの寺社が点在する吉野山の入口に位置しています。この王堂の本尊である木造蔵王権現像三体(重文)は室町時代の作で、高さ7m前後の彩色鮮やかな巨像は圧巻です。

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仏像作りの技法

 538年、百済からの仏教伝来と共に仏像が伝わり、飛鳥時代に青銅製の金銅仏が造られ、奈良時代には粘土で造った塑像や漆を用いた脱活乾漆像(だっかつかんしつぞう)が盛んに造られました。青銅製のブロンズ像としては、薬師寺金堂の薬師三尊像、東大寺大仏殿の大仏があります。塑像の代表作は、法隆寺五重塔下四面の群像、東大寺戒壇院の四天王像、新薬師寺の十二神将です。脱活乾漆像の代表作は、興福寺の阿修羅像を含む八部衆、東大寺法華堂の不空羂索観音菩薩立像です。

 鑑真渡来に伴い木造仏が奈良時代後半に造られるようになり、平安時代には一木造りが主流になっていきます。平安時代初期の作品として神護寺の薬師如来立像、法華寺の十一面観音菩薩立像、観心寺の如意輪観音菩薩坐像があります。平安時代末期の定朝により寄木造り法が確立します。

 2012年に国宝に指定されている国宝仏は126件あります。内訳は、木造90件、青銅11件、乾漆造17件、塑像7件、石造1件となっています。

仏師

 日本初の本格的な仏師は、飛鳥時代の鞍作止利(くらつくりのとり)でした。代表作は、飛鳥寺の飛鳥大仏や法隆寺金堂の釈迦三尊像で、アーモンド型の眼とアルカイックスマイル(ギリシャのアルカイック時代の像に見られる口元の微笑)が特徴です。

 奈良時代は、官寺の仏像制作が国の手によって行われました。平安時代末期に天才仏師の定朝(じょうちょう)が現れ、寄木造の技法を完成させます。柔和で優美な表情の仏像は、平安貴族に愛され特に時の最高権力者の藤原道長に寵愛されました。代表作は、平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像です。

「仏師の祖」と言われた定朝の弟子や子孫から派生した仏師の系譜は、円派・院派・奈良仏師に分かれ、奈良仏師から慶派へと受け継がれていきます。平安時代は、貴族に好まれた定朝様じょうちょうよう)の円派と院派が仏像制作を独占していました。

 鎌倉時代には定朝様とは異なる写実的な慶派の仏師が活躍します。代表作は、運慶の東大寺南大門の金剛力士立像、快慶の浄土寺阿弥陀三尊像・安倍文殊院の文殊菩薩坐像などです。慶派の創始者で運慶の父であり快慶の師匠である康慶(こうけい)の代表作は、興福寺南円堂の不空羂索観音(ふくうけんざく)です。運慶の息子達の代表作は、長男湛慶(たんけい)の蓮華王院千手観音座像、三男康弁(こうべん)の興福寺竜灯鬼立像、四男康勝(こうしょう)の六波羅蜜寺空也上人像です。

 室町時代には、さらに多くの仏像が作られるようになります。江戸時代初期に活躍した円空は旅をしながら生涯に12万体の仏像を彫ったと言われています。

好きな半跏思惟像ベスト3

一位は、広隆寺の弥勒菩薩半跏像(国宝1号)で、通称「宝冠弥勒」と呼ばれています。仏像の中でこの仏像が最も好きです。半跏思惟とは、台座に腰掛けて右足を左大腿部にのせて右膝頭に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する姿です。当時日本で使われない赤松で造られているため、日本書紀623年に新羅から伝来したものとする説が有力です。下の写真の韓国の国立中央博物館にある六世紀後半頃の半跏思惟像と比較してください。似ています。通称「泣き弥勒」と言われる弥勒菩薩半跏像(国宝)も霊宝館に安置されています。より人間に近い表情をしています。

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二位は、中宮寺の菩薩半跏像(国宝)です。スフィンクスとモナリザと共に世界三大微笑像と呼ばれています。木造に漆が塗られて表面が黒く照明が暗いので、相当近くで見ても、微笑みの表情が良く見えませんでした。

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三位は、大阪野中寺(やちゅうじ)の弥勒菩薩半跏思惟像(重文)です。聖徳太子建立のお寺と言われています。高さ約30cmの小さな像で、毎月18日に拝観することができます。どのように人々を救うのかを思案している半跏思惟像は、何故か聖徳太子ゆかりの広隆寺・中宮寺・野中寺に残されています。

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好きな大きな木造の仏像ベスト3

 一位は、奈良県長谷寺の十一面観音立像(重文)です。国宝・重要文化財の木造彫刻の中では最大像高の10.2mです。特別拝観時に足元まで近づき触る事ができます。鎌倉長谷寺の十一面観音(像高9.2m)も同じ木から作られたという伝説があります。

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二位は、福島県会津の恵隆寺(えりゅうじ)の立木千手観音立像(重文)です。像高7.4mの大きさで、立木の一木造としては日本最大級の仏像です。左右の二十八部衆と共に、大きな垂れ幕が前に掛けてあるので、彩色が鮮やかに残っています。会津若松駅からJR只見線の塔寺駅から歩いて20分です。塔寺駅からの道の両脇に多くの蔵を見る事ができます。

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 三位は、奈良県金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王権現立像3体(重文)です。中尊は像高7.3mで、青をベースに鮮やかに彩色された憤怒の形相は圧巻です。

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 次点は、東大寺南大門の金剛力士像です。運慶快慶作の国宝2体で高さ8.4mです。非常に有名な像ですが、好き嫌いの対象ではないという感じです。

好きな古い仏像ベスト3

 一位は、善光寺の秘仏です。538年に仏教が伝来した時に、百済の聖明王から欽明天皇に献上された金銅仏と言われています。絶対秘仏の本尊の代りに、前立本尊が6年に1度御開帳されています。2013年の東京両国回向院での出開帳では、秘仏と同じお姿の出開帳仏である阿弥陀如来三尊を身近で拝観することができました。感謝です。

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 二位は、奈良県飛鳥寺の飛鳥大仏です。609年に鞍作鳥(くらつくりのとり)により作られた銅造で、当初の部分は顔の上半と右手指3本のみと言われており、日本で作られた最古の仏像です。感慨深いものがありました。

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 三位は、法隆寺金堂の釈迦三尊像です。教科書であまりにも有名な止利仏師(鞍作鳥)による623年造立の金銅仏です。杏仁形(きょうにんがた、あんずの種の形)の両眼を見開いて口元にアルカイックスマイルを浮かべる神秘的風貌です。

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好きな頭だけ仏像ベスト3

 一位は、興福寺仏頭(国宝)です。悲しく憂いを帯びた表情に引き込まれます。元は山田寺の本像で、蘇我倉山田石川麻呂を弔うために685年に造られました。乙巳の変で蘇我宗家は滅び、変に功の有った石川麻呂が右大臣となり大化の改新が進められますが、やがて謀反を諫言され山田寺で自害します。藤原氏の氏寺である興福寺に移された事に因縁を感じます。

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 二位は、上野公園の上野大仏の顔面レリーフです。1660年頃に作られた高さ約6mの釈迦如来坐像は、火災や地震後に再建され、関東大震災で崩壊後、第二次世界大戦時に軍需に供出され顔面部だけがレリーフとして残っています。どっしりとしたお鼻で慈悲に溢れたお顔の上野大仏は、もうこう以上落ちないということで合格祈願に訪れる人が多いとの事です。

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 三位は、大観音寺の観音菩薩頭部です。東京都人形町の通りに面した小さなお寺で拝観できます。北条政子の建立した新清水寺(しんせいすいじ)の本尊で、鎌倉時代にお寺が延焼し、その後頭部のみ鶴岡八幡宮の井戸より発見され、明治時代より大観音寺に安置されるようになったそうです。鉄製で比較的大きく、毎月11日と17日に拝観することができます。

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2013年8月18日 (日)

深大寺

 京王線調布駅北口14番バス乗り場から深大寺行きのバス20分で終点の深大寺に到着し、バスを降りると深大寺の門前です。門前に立派な店が並ぶ門前町風で、深大寺を囲むように食堂兼御土産屋さんが30軒位あり、蕎麦の看板が多く出ています。3月3日と4日のだるま市が平日だったので、その直前の日曜日にやってきました。

火災を免れた1695年建築の寺院内で最も古い藁葺屋根の山門をくぐると境内です。正面本堂左の大師堂の先が釈迦堂で、白鳳時代の金銅仏を見る事が出来ます。この白鳳仏は、奈良時代の733年に創建されたと伝えられる深大寺より古いもので、国の重要文化財となっています。腰掛けた姿の珍しい仏像で、興福寺の山田寺仏頭に似たおだやかな表情です。

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 深大寺の上には、都立神代植物公園が有り、1年中綺麗な花を見る事が出来ます。梅や椿、広大な薔薇園、温室の熱帯植物など、その季節に応じて綺麗な花を鑑賞することができます。

好きな大きな仏像ベスト3

一位は、東大寺の奈良の大仏で親しまれている盧舎那仏坐像(国宝)です。大仏殿に入るとその大きさに圧倒され、像高15m以上に大きく見えます。初めて見た仏像で、中学時代に非常に感動しました。752年の開眼供養以降、1180年に平重衡の軍勢の放った火災で破損し、1567年には松永久秀の兵火で大きな損傷を受け、現在の仏像は1692年に開眼供養されたものです。

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  二位は、鎌倉高徳院の阿弥陀如来坐像(国宝)です。奈良の大仏に次いで、高さ11.3mの鎌倉の大仏は、津波で仏殿が流されたため外で風雨に耐えてきました。20円で仏像内部に入る事ができます。

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  三位は、格が違い過ぎて空位だそうです。個人的には、高さ2.8mの飛鳥大仏です。日本で最初に作られた歴史の偉大さで選びました。

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京都・奈良以外で好きな仏像ベスト1~5

一位は、浄土寺の阿弥陀三尊像(国宝)快慶作です。兵庫県にある浄土寺は、神戸電鉄小野駅から神姫バスが出ているのですが、本数が少ないので下調べが必要です。行きは時間帯が合わずに歩いて1時間でした。東大寺を再興した重源による1192年創建のお寺です。中尊は高さ5.3m、両脇侍は高さ3.7mで下から見上げる姿は、とても神々しいものでした。写真は、高い位置で撮影されているので印象が異なりますが、拝む目線で見上げる像がとても素晴らしいのです。

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二位は、九州大宰府の観世音寺の馬頭観音立像(重文)他仏像群です。高さ5mの3体の観音像が並ぶ様は圧巻です。観世音寺は、761年に戒壇院が設けられた寺で、当時の伽藍は残っていませんが、国宝の梵鐘と宝蔵に安置された多くの仏像が今に伝わっています。

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三位は、大阪観心寺の如意輪観音坐像(国宝)です。4月17日と18日のみ公開されています。赤みを帯びた彩色が残っており、豊満で官能的な感じがします。色っぽい仏像ナンバー1です。

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四位は、鎌倉覚園寺(かくおんじ)の薬師三尊像(重文)です。足利尊氏建立の銘の有る薬師堂に入ると、三体の仏像が真っ直ぐにこちらに目を向けており慈悲に溢れています。参拝は、定時に案内を受けながら50分位で寺内を巡ります。

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五位は、大阪葛井寺(ふじい)の千手観音菩薩坐像です。毎月8日に公開されています。高さ約1.3mの像に千本以上の手があり、厨子一杯に納まっているようで迫力がありました。

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 次点は、東京都の深大寺の釈迦如来倚像(重文)です。東京に白鳳仏があるという事と、椅子に座った倚像である珍しさにより六位入賞です。

奈良の好きな仏像ベスト6~10

 六位は、浄瑠璃寺の九体仏(国宝)です。国宝の本堂と三重塔を見学に行ったのですが、本堂内に横一列に並んだ九体の金色に輝く阿弥陀仏に目を見張りました。厨子に安置されている吉祥天立像(重文)の方が有名ですが、九体の壮観な姿に感動です。

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 七位は、東大寺法華堂の不空羂索(ふくうけんざく)観音菩薩(国宝)です。山側に二月堂と法華堂(三月堂)が並んで建っており、初めは法華堂の外観だけを見て通り過ごしてしまいました。法華堂の天井まで安置された大きな観音菩薩に圧倒されました。一時期、新しく開館した東大ミュージアムに移されていました。

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 八位は、長谷寺の十一面観音立像(重文)です。国宝・重要文化財の木造彫刻の中では最大像高の10.2mです。特別拝観時に足元から見上げると、その大きさに驚きます。黒光りしている足先に触り拝む事ができます。

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 九位は、法隆寺夢殿の救世(くせ)観音立像(国宝)です。聖徳太子の祟りを封じるために白い布でグルグル巻きにされていたので、今でも鮮やかな金箔と口紅の朱がなまめかしく残っており、生きているようでした。特別拝観時に見る事ができます。

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 十位は、金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王権現立像3体(重文)です。中尊は像高7.3mで、3躯共に青をベースに鮮やかに彩色されています。特別拝観時に下から見上げる3躯は、憤怒の形相で迫ってきます。

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奈良の好きな仏像ベスト1~5

一位は、興福寺の阿修羅像(国宝)です。あんな像が好きだなんてミーハー(古い!)と言われそうですが、うっすらと彩色の残る少年の顔をしたこの像が良いのです。正面の少し怒気を含んだ顔、左側面の何かを思いつめる顔、長い6本の手を持つ少年のような阿修羅像が大好きです。八部衆立像の他にも山田寺仏頭など多くの秀逸な仏像と共に宝物館で見学する事ができます。

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二位は、飛鳥寺の釈迦如来坐像である飛鳥大仏(重文)です。飛鳥時代に崇仏派の蘇我馬子が創建した法興寺に安置された日本最古の仏像です。609年に鞍作止利により制作された仏像は、その後の火災で大きく損傷し修復が加えられており、継ぎ接ぎのフランケンの様な顔をしていますが、その場に1400年間も座り続けているとの説明に感動です。アーモンド形の目は、鞍作止利仏師の法隆寺釈迦三尊像と同じものでした。写真が自由に撮れるのは、嬉しい限りです。

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三位は、唐招提寺の千手観音立像(国宝)です。唐招提寺の南大門をくぐると、目の前に金堂が堂々と建っています。その金堂を覗くと大きな仏像三体が安置されていて、目を奪われたのが、高さ約5.4mの千手観音立像でした。今は少し手の数が欠けていますが、約千本の手で本当に救ってくれそうです。特にこの金堂は、金網戸越しのすぐ近くに仏像が安置されており、風雨の影響を大きく受けそうですが、永い年月立ち続ける姿に感動でした。

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四位は、新薬師寺の十二神将立像(国宝)です。とぼけた顔立ちの薬師如来坐像(国宝)を守るように円形に並んだ十二の像は、うっすらと彩色が残っているものもありますが、埃にまみれた感じで土間に立っていました。力強く戦う守護神の躍動的な姿と、バランス良く丸く立ち並ぶ光景に目を奪われました。

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 五位は、秋篠寺の伎芸天立像(重文)です。初夏、うだるような暑さの中、秋篠寺の境内に入ると苔むして落ち着いた雰囲気で、国宝金堂内はひんやりとしていました。薄暗い金堂の中で、優しい母の様な慈愛に満ちた表情で伎芸天立像が立っていて、なごやかな気持になっていくのを感じました。照明を当てて撮影した写真が売られていましたが、温もりの有る実物の方が100倍素晴らしいものです。

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安い宿

 奈良や京都で良く利用した超お得な宿は、京都の「京都っ子」と奈良の「ウガヤゲストハウス」です。こういう宿は、外人も多く日本人旅行者もフランクなので、積極的に動けば交流が可能です。

「京都っ子」は二条城の近くで1泊2300円(シーズン中2500円)男女混合20人位の大部屋2段ベッドです。カーテンが付いていて、夜には消灯となるので、耳栓とアイマスクが有れば熟睡出来ます。無料の共同シャワーが有りますが、銭湯にゆっくり入りたい場合は近くに有り410円です。洗濯機使用は1回200円、ドライヤーは100円です。インスタントコーヒー付きの簡単な朝食が無料です。

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 JRと近鉄奈良駅の中間に位置する「ウガヤゲストハウス」は、1泊2500円です。2段ベッドはカーテンが付いていて独立性が高いので安眠できます。和室相部屋布団敷きの部屋は、隣が気になり寝付けないかもしれません。シャワーとドライヤー、洗濯は無料で、1Fの共同スペースが和みの空間でフランクな付き合いが出来ます。

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 番外としては、大阪市西成区のJR動物園前駅のあいりん地区にある1泊1500円(男性専用)の宿です。3.5畳個室、個室でテレビ・クーラー付き、共同風呂も有ります。大阪や和歌山観光の際に使いました。地元の人に聞くと、通常は近づかないエリアとのことです。

京都4日間の旅

 神社仏閣巡りにはまる事となった久しぶりの京都は、費用節約のため夜行高速バスを利用し、安い宿(2段ベット大部屋、1泊2500円)に宿泊しました。睡眠をとるためには、バスも宿も耳栓とアイマスクが必需品です。

 まず京都で大変なのがバスです。京都市内には、京都市交通局(市バス)と京都バス(京阪電車系)、JR西日本の3社のバスが走っています。一つのバス停に複数社が乗り入れている事に気付かず、市バス1日乗車券(500円)で来たバスに飛び乗ったら京都バスでした。京都バスやJRバス車内には、市バス一日乗車券は使えませんと大きく表示されていたので、間違える人が多いようです。

 京都では、路線バスが縦横無尽に走っているのですが、時間帯によっては乗車時間が長くかかるので近距離は徒歩、中距離にバス、遠距離は電車や地下鉄をうまく利用して、少しでも多くの観光スポットを巡りましょう。京都駅と二条城の距離は3.5km位ですが、バスで25分~40分かかります。渋滞時は、二条城の裏の二条駅までJRに乗車し歩いた方がスムーズに到着できます。(写真:一つのバス停に3社の停留所有り)

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初日は、24:00東京駅を出発し、京都駅に朝6:00到着です。西本願寺は、朝6:00から拝観可能なので、まず西本願寺をスタートに選び、最終目的地の銀閣寺バス停まで徒歩18kmの工程でした。西本願寺→東本願寺→豊国神社→(京都国立博物館)→(三十三間堂)→清水寺→(八坂の塔)→建仁寺→八坂神社→知恩院→平安神宮→南禅寺→銀閣寺の京都市東部のゴールデンコースです。京都国立博物館は工事中、三十三間堂は開門時間前に通過、八坂の塔は電気工事中で見学出来ませんでした。西本願寺では、朝の読経が行われており厳かな気持ちになれました。

2日目は、京都西北部の観光名所を回りました。朝8:00に仁和寺をスタートし龍安寺→金閣寺→大徳寺→龍源院→大報恩寺→北野天満宮→平野神社→妙心寺→広隆寺を見学しました。金閣寺は、ピカピカでくすみが全くなく、それはそれでとても美しく素晴らしいものでした。

3日目は、高山寺と神護寺、醍醐寺、三十三間堂、東寺を観光しました。高山寺最寄りのバス停に7:45到着しました。バス停留所からの高山寺入り口(裏参道)は、8:30開門ですが、バス停から少し戻った所の高山寺表参道からは境内に入れます。金堂や苔むした参道を歩いて到着した石水院は、漫画のルーツとして有名な鳥獣人物戯画が伝わったお寺で、紅葉の時期に再度訪れたい静かなお寺でした。高山寺から歩いて30分で到着の神護寺は、教科書に必ず出てくる源頼朝の肖像画でも有名なお寺です。

4日目朝7:00の京都御所は、朝靄がかかっており、散歩する人が疎らにいる程度で素晴らしい所でした。廬山寺→下鴨神社→上賀茂神社、二条城、東福寺、天龍寺→清涼寺のコースでした。上賀茂神社では内宮を特別拝観し、神職から京都と神社成立の話を伺うことができました。

4日間の京都の旅は、あまりにも過密スケジュールだったため見落としたことも多かったのですが、古都に魅せられてその後何度も訪れることになります。

京都の好きな仏像ベスト6~10

 六位は、泉涌寺山内にある即成院(そくじょういん)の阿弥陀如来と二十五菩薩(重文)です。両脇侍の菩薩像は、三千院と同じように中腰で正座をしています。両側最前列の菩薩は、楽器を持って思いっきり笑っています。こんなにも笑っている像は初めて見ました。中央の坐像を中心にひな壇に並んだ菩薩は、真っ黒に煤けていて迫力があります。本堂内陣まで特別拝観で入って、ぜひ見てください。

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 七位は、千本釈迦堂の六観音菩薩像(重文)です。初めての時は、洛中で最も古い国宝建造物である本堂だけを見学して霊宝館を見過ごしてしまいました。霊宝館に安置されている六観音菩薩像は、鎌倉時代の造立ですが、金箔や彩色がされていない木肌のままなので、細かい造形までハッキリと見ることができます。とても優雅です。また、快慶作の十大弟子立像(重文)は、興福寺のものと全く異なり人間臭くて非常に個性的なお顔です。

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八位は、六波羅蜜寺宝物館の空也上人像(重文)です。口から6体の小さな仏像が出ている、教科書で有名な仏像です。念仏を唱えながら歩く空也そのものを見ているようです。傲慢さが全く見えないとして紹介されている平清盛像(重文)は、逆に傲慢さが溢れているように見えました。住宅街にポツンとある小さなお寺ですが、多くの仏像が残されており、清水寺や建仁寺にも近いので、ぜひ訪れて下さい。

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九位は、清涼寺霊宝館の阿弥陀三尊像(国宝)です。清涼寺は本堂の釈迦如来立像が有名ですが、春と秋に公開されている霊宝館の阿弥陀三尊像に心惹かれました。光源氏のモデルとも言われている源融(みなもとのとおる)を写したと伝えられる三尊像は、キリットした顔立ちです。特に両脇侍は、肩幅が広くウエストが締まっていてボディビルダーのように恰好良いのです。

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十位は、戒光寺の釈迦如来立像(重文)です。像高5.4mの木造です。お寺の拝観料無しで、普通にお参りできる像は珍しいと思います。好きな仏像ベスト10には、近くで見る事の出来る仏像や圧倒されるような大きな仏像が多く入っていますが、この二つの条件を満足しています。

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京都の好きな仏像ベスト1~5

一位は、広隆寺の弥勒菩薩半跏像(国宝)です。広隆寺の国宝建築物である桂宮院本堂の拝観に訪れましたが、常時拝観ではないので塀越しに八角円堂をのぞき見しました。聖徳太子ゆかりの寺である法隆寺夢殿と同じ形です。コンクリートの霊宝殿になにげなく入ると、そこに半跏思惟像があったのです。昔、社会の教科書で見て美しいと思った仏像がそこに展示されていました。繊細な右手と美しい木目が絶妙なバランスで、物思いにふける姿は、身飽きる事の無い心を奪われる美しさでした。前の畳敷きに座ってじっくりと拝観することができます。他にも沢山の仏像が展示されており、絶対に訪れてほしい宝物の展示館です。

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 二位は、三千院の阿弥陀三尊像(国宝)です。京都駅から少し遠い大原三千院の阿弥陀三尊像の両脇の菩薩は、いつでもすぐに救いの手を差し伸べる事が出来るように、素早く立ち上がれる中腰の正座で座っていたのです。その慈悲深い姿を見て涙で像が見えなくなってしまいました。中庭の往生極楽院に安置されています。

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 三位は、三十三間堂の千手観音立像(重文)です。右手に壮大な数の像が見えた時の驚きは、なんとも表現し難いものでした。金色に輝く立像千体が果てし無く並んでいるのです。真ん中の千手観音坐像(国宝)を含めて1001体の観音像です。初めて見た時の感動があまりにも大きくて、前方に並んでいる観音28部衆立像(国宝)や雷神風神像(国宝)などを見逃してしまいました。3回訪れてやっと目に焼き付けることができました。 1000

 四位は、東寺講堂内の仏像群です。密教の曼荼羅を、大日如来仏像を中心に仏像で立体的に表しています。21体()の仏像がひしめく講堂内に入ると、あっと息を飲む感動を覚えます。像に乗った帝釈天が女性に人気の様ですが、強面の任侠のお兄さんという感じです。多くの仏像が居並ぶこの大空間が大好きです。

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 五位は、法界寺の阿弥陀如来像(国宝)です。国宝阿弥陀堂内に入ると、像高2.8mの阿弥陀如来像に圧倒されてしまい、初めての時は細かな所まで見る余裕がありませんでした。平安貴族に愛された定朝様式の典型という事を後で知り、再度訪れて拝観させて頂いた時は、上部の白壁に描かれている飛翔する天女や、彩色の残っている柱などを見る余裕がありました。訪れる人が少なく、いつもひっそりとしています。

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はじめに

 4年間の海外勤務から戻ってすぐに受診した人間ドックでメタボと診断され、減量に取り組む事になりました。都内の名所を徒歩で巡り、食事を野菜中心に変えた事で少しずつ体重が減っていきました。東京で20年以上仕事をしていたのですが、ほとんど名所地を訪れた事は無く、とても新鮮で感動を覚えました。江戸時代の名勝庭園、人で賑わう浅草寺の仲見世通り、モダンな築地本願寺、白鳳時代の釈迦如来像の深大寺、関東で現存する最古の五重の塔を有する池上本門寺、皇居の桜、どれも素晴らしかったのですが、なんとなく物足りなさを感じるようになっていました。

 そんななか、そうだ京都に行こうと思い立ち、中学の修学旅行以来久しぶりに訪れた古都の素晴らしさに、完全にはまってしまいました。旅行ガイドを片手に寺社を巡り、お寺や神社の由来を見聞きする内に、日本の歴史の再勉強を痛感し、いつの間にか本棚は歴史・宗教・国宝関係の本で一杯になってしまいました。このブログは、日本の古代史の舞台や古い国宝建造物を訪れた際に感じた事と、面白いと思った日本の歴史などを綴ったものです。

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