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2013年9月 7日 (土)

院政

藤原道長の息子頼道は、藤原の娘に皇子を生ませることが出来ませんでした。藤原氏の外孫でない後三条天皇は、1069年に永久の荘園整理令を出して、不正な荘園を天皇家の領に加え基盤を強化していきます。このような整理令は902年にも醍醐天皇によって出されましたが、摂関政治の全盛期であり藤原氏が抵抗したので成功しませんでした。

後三条天皇は藤原摂関家に勢力を抑えるために、藤原系の息子白河天皇に譲位する代わりに、次の天皇は源氏の母親から生まれた弟に譲るよう命じ、上皇となって院政を敷いたのでしたが、譲位後半年で病死してしまいます。父後三条天皇が指名した白河天皇の弟の皇太子が病死したため、幼少の息子堀河天皇に譲位し上皇となり院政を敷き藤原系の天皇が続くことになったのです。ところが、堀河天皇の母親は源氏から藤原家に養女に出ていたため、後三条天皇が積極的に登用していた源氏の政界進出が目覚しく、荘園整理令のため藤原摂関家の財政的基盤が弱まり、国司に任命されて実際に現地に赴任する中流以下の貴族である受領層の後三条天皇の親政支持により藤原摂関体制が崩壊したのでした。

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