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2013年9月 7日 (土)

蘇我氏

 645年の乙巳の変(いっしのへん)で滅ぼされた蘇我蝦夷・入鹿親子の家系を遡ると、蘇我韓子(からこ)―高麗(こま)―稲目―馬子―蝦夷―入鹿となります。歴史書では断定されていないのですが、名前からはどう見ても渡来人です。蝦夷という蔑称が付けられているので、名前を改ざんされたか、東国との強いつながりが有ったと推定されます。蘇我馬子は第32代崇峻天皇を592年に暗殺し政治権力を握り、第33代推古天皇摂政の聖徳太子と協力して政治を行いました。蘇我馬子は仏教の受容に反対する物部守屋を587年に滅ぼし、日本で初めて本格的寺院である法興寺(飛鳥寺、後に平城京に移設され元興寺となる)を596年に創建し、石舞台古墳に埋葬されました。石舞台古墳は、奈良県明日香村に有り、最大77トンの石積の玄室が露出していて、この巨大空間の玄室に入る事ができます。飛鳥寺の飛鳥大仏は創建当初の場所にある安居院(あんごういん)に安置され、永い歴史を刻んでいます。写真は、安居院の傍にある蘇我入鹿の首塚です。

Photo

 蘇我稲目の娘を第29代欽明天皇の妃として以降、蘇我氏は一族の娘を天皇家に嫁がせ深い関係を築きました。馬子は甥の崇峻天皇を暗殺し、両親の祖母が共に稲目の娘であり、妃が馬子の娘である聖徳太子の王子を入鹿が滅ぼしました。せっかく天皇家と強固な姻戚関係を結びながら、自ら破滅への道に進んで行ったことになります。

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