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2013年9月 7日 (土)

遷都と祟り

藤原不比等の4人の息子は、異母妹の光明子を聖武天皇の皇后に立てようとしました。これに反対した有力な皇位継承者であった長屋王は、729年に藤原四兄弟に陥れられ死に追いやられます。(長屋王の変)その後、藤原四兄弟が天然痘で死亡し長屋王の祟りと噂され、聖武天皇も恐れおののきます。猛威を振るう疫病や九州一帯を巻き込んだ藤原広嗣の乱の最中の740年に恭仁京への遷都を敢行し、仏教を国家と国土を安泰に導く鎮護国家の教えと位置付け、741年に国分寺建立の詔、743年に奈良の大仏造立の詔を発し、745年に平城京に還都し戻ってきました。

長岡京造営の責任者藤原種継の暗殺事件の首謀者とされた早良親王(さわら)が、785年に淡路へ配流される途中で絶命しました。桓武天皇は、実弟の早良親王の祟りから逃れるようにして長岡京から平安京へ遷都したのです。

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