無料ブログはココログ

« 「崇」のおくりなの天皇 | トップページ | 御霊信仰 »

2013年9月 7日 (土)

崇徳上皇の祟り

鳥羽天皇の皇后が白河法皇と密通して生まれた崇徳天皇は、父の鳥羽天皇に嫌われ若くして譲位させられ、自分の子供に天皇位を継がせる事が出来ませんでした。崇徳上皇は、鳥羽法皇が亡くなると政権奪回のクーデターである保元の乱を1156年に起こしますが、失敗し讃岐に流されてしまいます。流罪地の讃岐で反省し写経した経を都に送ったのですが送り返され「日本の大魔王となって、天皇家を没落させ平民をこの国の王にしてやる。この経を魔道に捧げる。」と自分の舌を食い千切って流れた血で経に呪いの誓文を書き海に沈め讃岐で憤死します。

その後、平清盛が大きな権力を得て、源頼朝によって鎌倉幕府が成立するのです。鎌倉幕府の源氏が三代で滅びた際、後鳥羽上皇は政権を取り戻す好機と兵を挙げたが失敗し(1221年承久の変)、臣下である武士によって隠岐に島流しになるのです。ここに至って崇徳上皇の呪いは現実のものとなり、天皇家から武士に政権が移るのです。この怨霊伝説は明治維新まで続き、明治天皇の即位の礼の直前に天皇の勅使が讃岐に派遣され崇徳上皇の御霊を京都へ帰還させて祀りました。崇徳上皇の怨霊は、菅原道真と平将門とを合わせて日本三大怨霊と言われています。

« 「崇」のおくりなの天皇 | トップページ | 御霊信仰 »

日本の歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1351206/52944917

この記事へのトラックバック一覧です: 崇徳上皇の祟り:

« 「崇」のおくりなの天皇 | トップページ | 御霊信仰 »