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日本の歴史

2013年12月23日 (月)

古墳から出土した馬冑

 馬のよろいである馬冑(ばちゅう)が、日本で出土したのは、和歌山県の大谷古墳(6世紀初頭)と埼玉県さきたま古墳群の将軍山古墳(6世紀末)の2例です。大谷古墳からは、馬の顔面だけでなく馬体の鉄板も、ほぼ完全な形で出土しています。韓国では多くの馬冑が出土しており、朝鮮半島の強い影響が考えられます。
 5世紀以降の多くの古墳に副葬される馬具(金具・あぶみ等)は、この時代に乗馬の技術が大陸から伝わった事を物語っています。6世紀には、百済に軍馬の提供を約束した事が日本書紀に記されています。
 
写真上が将軍山古墳の馬冑で写真下が韓国中央博物館のものです。
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文字の書かれた古代の刀剣

 埼玉県の5世紀後半築造の稲荷山古墳出土の鉄剣(写真上)と、熊本県の江田船山古墳からの鉄刀に刻まれた文字が、雄略天皇の勢力が全国に広がっていた事を明らかにしました。奈良県の石上神宮の七支刀は、百済王の王子から倭王に贈られたものです。また、奈良県の4世紀の東大寺山古墳から出土の太刀(写真下、東京国立博物館蔵、金象嵌24文字)は2世紀後半に中国で作られたもので、日本最古の銘文刀剣です。
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4つの刀剣の大きな違いは、稲荷山と石上神社は剣(ツルギ)で江田船山と東大寺山は刀(カタナ)ということです。剣は両刃で反りが無く真っ直ぐで突く武器で、刀は片刃で反りが有り切る武器です。2つの剣には両刃面の広い部分に大きな文字で刻まれており、2つの刀には刃の峰(刃と反対の背面)の狭い部分に小さな文字で刻まれています。江田船山古墳出土刀は銀象嵌で、他の3刀剣は金象嵌です。写真上は江田船山古墳の刀で、写真下はその刀の柄に近い刃の部分に銀象嵌された動物です。
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他にも千葉県の5世紀後半の稲荷大台古墳1号墳出土の剣(両刃面に銀象嵌12文字)や島根県の6世紀後半の岡田山1号墳の太刀(片刃面に銀象嵌12文字)などがあります。

九州の古墳(宮崎県の古墳)

 熊本県と福岡県の古墳を紹介してきました。九州には多くの古墳が有り、紹介しきれないのですが、宮崎県の西都原古墳群(サイトバル)を紹介します。

 宮崎市内の宮交シティから路線バス1時間で西都バスセンターに到着し、そこから徒歩20分です。最初に、ガイダンスセンター「このはな館」で、自転車(無料)を借りましょう。西都原古墳群を代表する古墳は、宮内庁陵墓参考地に指定されている男狭穂塚古墳(オサホ)と女狭穂塚古墳(メサホ)です。男狭穂塚古墳は、天孫降臨を果たしたニギノミコトの陵墓参考地で周りを幅20mの周壕で囲まれた墳長175mの日本最大の帆立貝型古墳です。写真の女狭穂塚古墳は、ニニギノミコト妃のコノハナサクヤヒメノミコトの陵墓参考地で、墳長180mの九州最大の前方後円墳です。オサホもメサホも木々に覆われていて全容を見通す事ができません。
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 300基以上の古墳群が、「風土記の丘」整備事業第1号とし整備されており、広々とした地域に古墳が点在しています。代表的な古墳は、写真上の鬼の窟古墳(オニノイワヤ)で大きな横穴式石室(写真下)を有する直径36mの円墳です。周掘と外堤が有るので、とても大きく見えます。一番奥の西都原考古博物館も必ず見学してください。無料です。
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 この時の九州内移動に、高速バス・路線バス乗り放題のSUNQパス3日間で10000円を利用しました。博多、人吉の熊井阿蘇神社、宮崎の西都原古墳群、高千穂峡観光に利用しました。宮崎駅と都城駅間はバス不通のためJRを利用しても、とてもお得です。

九州の古墳(福岡県の古墳2)

 約300基の古墳が残されている八女古墳群は見所が多くあります。墳長135mの岩戸山古墳(写真)は、前方後円墳の周囲に濠がめぐらされ、森の様にこんもりとしています。まだ発掘されていない古墳です。「磐井の乱」で敗れた筑紫君磐井(ツクシノキミイワイ)の墓で、多くの石像が立ち並んでいました。隣接する岩戸山歴史資料館で八女古墳群の全容を確認しましょう。写真下は、東京国立博物館蔵の岩戸山古墳の石人です。

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 久留米バスセンター乗車・福島高校前下車し岩戸山古墳をスタートして、八女古墳群を巡る1日ハイライトコースです。岩戸山古墳と資料館で約1時間を費やした後、乗場古墳―善蔵塚古墳―丸山塚古墳―茶臼塚古墳―鶴見山古墳(写真の看板では階段を上る様に見えますが、県道82号を突っ切って真っ直ぐに進む)―釘崎古墳―尾崎古墳(道路脇に残る古墳の左のお地蔵様をすり抜けるように細い道を進む)-丸山古墳―童男山古墳(ドウナンザン)―堀川バス停まで徒歩でまわると3時間かかります。童男山古墳までの2時間半の道程の途中にトイレが無いので要注意です。

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 童男山古墳群は磐井一族の最期の古墳と言われていますが、徐福伝説の方を信じたい気持です。毎年1月20日に行われる「童男山ふすべ」の祭りは、秦の始皇帝から不老不死の薬探しを命じられた徐福が、手厚い看護の甲斐なく息を引き取り童男山1号墳(写真)に葬られたという伝説を伝えるものです。

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 次は、堀川バス停乗車・羽犬塚駅で乗換・九州大谷短大前下車、石人山古墳(セキジンサン)・弘化谷古墳(コウカダニ)です。まず、広川町古墳公園資料館(こふんピアひろかわ)で出土品を見学しましょう。石人山古墳は、墳長107mの前方後円墳で墳上の家形石棺と石人(写真)を常時見る事ができます。弘化谷古墳は円墳で、内部の装飾壁画は年2回公開されています。

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九州の古墳(福岡県の古墳1)

 福岡県には、全国で2位の約70基の装飾古墳がある他、多くの古墳が残されています。日本を代表する豪華な装飾古墳で有名なのは、王塚古墳です。墳長86mだったのですが、削られて円墳のように見えます。隣接する王塚装飾古墳館で実物大の石室(写真、レプリカ)を見る事ができ、石室内は年2回公開されています。王塚古墳は、国指定の特別史跡です。古墳として全国で8件指定されており、九州では西都原古墳群と共に2件が特別史跡です。
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装飾古墳の壁画は抽象的な幾何学文様が多いのですが、竹原古墳は赤と黒で描かれた写実的な絵画で装飾古墳の終末期である6世紀末に造られました。古墳がある諏訪神社の前のお店で見学を申し込むと、年代物のカセットテープレコーダーと鍵を貸してくれます。
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九州の古墳(熊本県の装飾古墳2)

熊本県では、装飾古墳の一斉公開を年2回行っており、2013年度は10月26日・27日と3月21日・22日です。この機会にしか内部を見学できない古墳も多いので必見です。新幹線新玉名駅近くの大坊古墳と永安寺東古墳、八代方面の田川内古墳(タノカワチ)、熊本市南部の塚原古墳群などを見学しました。いずれも山の斜面に位置する、大坊古墳は墳長40mの前方後円墳(写真上)、永安寺東古墳は円墳(写真下)です。どちらの古墳も装飾が色鮮やかに残っています。
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  八代駅から「肥薩おれんじ鉄道」に乗車し日奈久温泉(ヒナグ)で下車して徒歩10分の田川内第1号古墳(写真)は、円墳で石室内部に刻まれた明瞭な円模様を見る事ができます。古墳上の神社は近隣17軒で守っているとのことです。
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  塚原古墳群は、熊本交通センターからバスで45分、二つの路線バスでのアクセスが可能で、公会堂前か塚原が最寄りのバス停です。多くの古墳が残されており、写真の花見塚古墳は墳長53mの前方後円墳で周囲に二重の溝を持っています。石之室古墳内部が公開されています。塚原歴史民俗資料館には、多くの出土品が展示されており必見です。
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移動は九州新幹線を上手に使いましょう。JR九州の「九州ネット早特7」なら、インターネットから7日前まで予約で、博多駅―熊本駅間の通常キップを4990円の半額2500円で購入できます。

九州の古墳(熊本県の装飾古墳1)

  全国に装飾古墳は約650基あります。熊本県には都道府県最多の約200基があり、熊本県北部を流れる菊池川流域に県内の半分以上の装飾古墳が集中しています。
 
最も有名なのは、山鹿市にあるチブサン古墳でしょう。色鮮やかな家形石棺を1日に2回公開しており、隣接する山鹿市立博物館(ヤマガ)で申し込みをします。チブサン古墳は墳長55mの前方後円墳で、近くの突堤付き円墳であるオブサン古墳は子宮のような珍しい形です。一帯は、肥後古代の森として整備されており鍋田横穴群の浮き彫りレリーフと共にとても楽しめます。写真上はチブサン古墳内部、写真中はオブサン古墳、写真下は鍋田横穴群のレリーフです。

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  菊池川流域1日ハイライトコースは、交通センターから山鹿バスセンター乗換で博物館前下車しチブサン古墳・オブサン古墳・鍋田横穴群見学、山鹿バスセンター乗車・県立装飾古墳館入口下車して必見の熊本県立装飾古墳館と岩原古墳群見学(イワバル)、古墳館入口乗車・菊水ロマン館下車して銘文刀出土の江田船山古墳見学、バスで玉名駅です。江田船山古墳は木々に覆われています。造墳した時に権威有る木々が植栽されたそうです。江田船山古墳からの素晴らしい出土品は国宝に指定され、東京国立博物館で見る事ができます。
 写真上は墳長107mの岩原双子塚古墳(前方後円墳)、写真下は墳長62mの江田船山古墳(前方後円墳)です。

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 熊本市内から移動の場合は、「わくわく1dayパス」がお得です。熊本県内の路線バス・市電・電鉄電車が1日乗り放題で1500円です。このコースだと交通費が半額となります。

2013年9月 7日 (土)

年代ごろ合わせ

 受験時代に覚えた下記年代のごろ合わせを、今でも覚えていました。語呂が良いと忘れないのですね。

①645年 大化の改新ムシゴはん。

②794年 ナクヨうぐいす平安京

③894年 ハクシに戻す遣唐使

④1192年 イイクニ作ろう鎌倉幕府

⑤1333年 ヒトミナサンザン鎌倉幕府滅亡

⑥1467年 ヒトノヨムナシ応仁の乱

 他に語呂合わせが良くて覚えやすい年代を書き出してみました。

①607年 ブレイナ小野妹子の遣隋使

②663年 ムロンザンぱい白村江の戦い

③672年 ブナンニはいかない壬申の乱

④710年 ナント(南都)立派な平城京

⑤720年 ナニオおいても日本書紀

⑥743年 返すのナシサ墾田永年私財法

⑦1156年 平氏にとってイイコロ保元の乱

⑧1281年 ヒトニワイえない二度目の元寇(文永・弘安の役)

⑨1543年 ジュウゴヨサンで作ります鉄砲伝来

東西の本願寺

 浄土真宗は親鸞を開祖とし、鎌倉時代初期に生まれました。室町時代後期に登場した第八代蓮如(れんにょ)の布教により信者を増やした浄土真宗は一向宗とも呼ばれ、大阪の石山本願寺は一大勢力となりました。石山本願寺を拠点に織田信長と合戦したのは第十一代顕如(けんにょ)でした。顕如の嫡男である教如(きょうにょ)は、後を継ぎ十二代法主となりましたが、顕如の末子である准如(じゅんにょ)を後継者に指名した遺言状を秀吉が裁定し、准如が法主となりました。准如の西本願寺は秀吉から与えられた広大な土地に1591年に建てたもので、不本意な形で法主の地位を追われた教如は、家康から京の地に寺地を贈られ1602年に東本願寺を建て、本願寺が西と東に分断されました。徳川家康は、若き時代に一向一揆に苦しめられた経験があったため、両者を対抗させ脅威を分散させたと言われています。写真は、京都の東本願寺です。

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足利義満と金閣寺

 足利義満は、天皇家でないのに歴史上唯一天皇になろうとした将軍と言われています。金閣寺の一階は寝殿造りで、二階は武家造、三階は中国風の禅宗仏殿造となっています。義満は中国皇帝に日本国王であることを認められており、金閣は、義満が公家(一階)社会と武家(二階)社会という階層の上に立つ最上位の王者であることを具現化したものであると考えられています。金閣寺の屋根には、聖徳の天子の兆しとして現れるという想像上の鳥の鳳凰の飾りがあります。

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