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神話と物語

2013年8月25日 (日)

百人一首

7世紀から13世紀の百人の和歌が集められた歌集で、大化の改新を成し遂げた天智天皇の歌に始まり、承久の乱に敗れ佐渡に配流された順徳院までの100首が収められています。1235年に藤原定家撰の百人一首がルーツで、他と区別するために小倉百人一首と呼ばれています。個人的に好きな歌や語呂の良い歌を下記します。

特に好きなのが61番歌です。一条天皇の御前で奈良の八重桜が献上された時、中宮彰子と藤原道長も同席していました。桜の受け取り役を紫式部から譲られた初出仕の女房が、道長より和歌を詠めと命じられ、みごとに答えたのがこの一首だったのです。道長以下同席していた人々が、感動のあまりどよめいたと記録に残されています。歌人としても有名な伊勢神宮祭主の娘が、鮮烈なデビューを飾った瞬間の華やかな情景が目に浮かびます。

2番歌:持統天皇「春過ぎて夏来にけらし白砂(しろたえ)の衣干すてふ天の香具山」

4番歌:山辺赤人「田子の浦にうち出()でてみれば白砂の富士の高嶺に雪は降りつつ」

7番歌:安倍仲麿「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」

9番歌:小野小町「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に」

17番歌:在原業平「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれないに水くぐるとは」

33番歌:紀友則「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」

61番歌:伊勢大輔「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」

77番歌:崇徳院「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思う」

94番歌:藤原雅経(まさつね)「み吉野の山の秋風さ夜更けてふるさと寒く衣うつなり」

日本の五大昔話

 日本の五大昔話は、「桃太郎」「カチカチ山」「舌切雀」「花咲か爺さん」「猿蟹合戦」で、江戸時代に赤本(絵本)として広まったそうです。他にも「因幡の白ウサギ」「かぐや姫」「こぶとり爺さん」「浦島太郎」「金太郎」「一寸法師」「鶴の恩返し」等の有名な昔話があります。日本最古の歴史書である古事記には「因幡の白ウサギ」が、平安初期の9世紀末に出来た日本最古の物語である竹取物語が「かぐや姫」、13世紀初めの宇治拾遺物語には「こぶとり爺さん」が、出ています。昔から語り継がれてきた物語です。

日記と随筆

かな文字で書かれた文学としての日記は、紀貫之の「土佐日記」に始まり、平安時代の中流女性貴族によって書かれた、藤原道綱の母の「蜻蛉日記」、「和泉式部日記」、「紫式部日記」、菅原孝標(たかすえ)のむすめ「更級日記」があります。これら女流日記文学は、日記の枠を超えた豊かな表現でつづり、清少納言の「枕草子」に代表される随筆文学へと続きます。

戦乱の時代に軍記物語が盛んに作られる一方、そうした世から逃れた西行が和歌を鴨長明は「方丈記」、吉田兼好は「徒然草」を残しました。「方丈記」と「徒然草」は「枕草子」と共に三大随筆と呼ばれています。

竹取物語

 竹の中から生まれた「かぐや姫」が老夫婦と幸せに暮らし、成長して天に帰っていくということしか記憶にありませんでしたが、読んでみると求婚者達に無理難題を出していく内容で、初めて読むものでした。

竹取物語は平安時代初期の九世紀末に成立しており、紫式部より元祖物語との称号を得ている日本最古の物語です。五人の求婚者は、天皇の息子である二人の皇子、右大臣、大納言、中納言と、上流貴族です。かぐや姫が要求したプレゼントを探し出してきた者と結婚するという条件が各人に出され、実在しない想像上の物を獲得するために多くが破滅に追いやられてしまいます。最後には、帝も登場しかぐや姫と心を通わせますが恋に破れてしまいます。帝は、月の国にかぐや姫を戻すまいと2000名の兵士で館の守りを固めるのですが、光り輝く天人の一団に戦意を喪失してしまいます。天の羽衣を着て月の都へ戻っていったかぐや姫は、帝に手紙と「不死の薬」を残していきますが、もう二度と姫に会えないのなら「不死の薬」になんの価値も無いと天に最も近い富士山頂で焼いてしまうのです。中国の皇帝が不老不死の薬を探し求め続けたのと違い、日本人独特の潔い美学が感じられます。

古事記と古代神話

 日本最古の歴史書「古事記」に日本の古代神話が語られています。神々の世界「高天原(タカマガハラ)」の夫婦神であるイザナギとイザナミが、日本列島を創造し、海の神や山の神、火の神など多くの自然神を生み出します。イザナミは、火の神を生んだ時に亡くなり、その後イザナギは太陽神「天照大神(アマテラスオオミカミ)」や風神「須佐之男神(スサノオノミコト)」などの神を生みだしていきます。

 乱暴をはたらくスサノオに怒った姉のアマテラスは、「天岩戸(あまのいわと)」に隠れてしまい、世界が闇につつまれました。神々は、アマテラスを呼び戻すために天岩戸の前で祭りを行い、アマテラスが戸を少し開けた時に、引き戻したのです。この事で、高天原から地上に追放されたスサノオは、「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」を酒に酔わして退治し、生贄にされそうになっていた姫を妻に迎えて出雲国を治めました。この神話は、昔話として何度も聞いた話ですが、古事記に載っていたのです。また、天岩戸伝説の時の鏡と勾玉、八岐大蛇を切り刻んだ時に体内から出て来た「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は、天皇家に伝わる三種の神器になっています。

 スサノオの子孫である「大国主命(おおくにぬしのみこと)」は、うさぎを助けた事により地上の国作りをまかされました。鰐に皮をはがされた兎を大国主命が助ける「因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)」も誰もが知っている昔話です。この物語は、隠岐島から因幡国(鳥取県の東部)に渡ろうとした兎が、兎と鰐の一族のどちらが多いかを比べようと持ちかけ、鰐を海に並べその背を伝って渡りきろうとした時に、兎の悪巧みが露呈し皮をはがれてしまうものです。大国主命の兄弟達は兎に嘘の治療法を伝え、苦しんでいた兎に正しい治療法を伝えたのが大国主命でした。兎のお告げ通り因幡国の姫を妻にめとった大国主命は、兄弟達の反感を買い二度も殺されてしまいますが、姫の母神により助けられ地下の黄泉の国に逃げます。地下の国を支配していたスサノオの試練をくぐり抜け、スサノオの娘を妻とし地上の国作りを命じられたのです。

賑わい栄えた地上の国を見ていた天上の天照大神は、自らの子が治めるべきと考え大国主命から地上の国を差し出させます。この国譲りの条件として高くそびえる宮殿を要求し、出雲大社が建てられました。天照大神の孫であるニニギノミコトが、地上の国を治めるために三種の神器を授かって日向の高千穂峰(宮崎県)に降り立ち、「天孫降臨(てんそんこうりん)」を果たしました。ニニギに嫁いできた姉妹の美しい妹(美人薄命)のコノハナノサクヤヒメとだけ結婚し、醜い姉(丈夫)を親元へ戻したことで、神であるニニギも人間と同様に寿命を持つようになったのです。ニニギの子である弟の山幸彦は、兄の海幸彦から借りた釣り針を失くしてしまい、海神の元に捜しに行き針を見つけます。地上に戻り兄に針を返しますが、許してくれない兄との争いに勝った弟が国を治める事になりました。この山幸彦の孫が、紀元前660年に初代天皇の神武天皇となるのです。

神武天皇は、天下を平定するために、宮崎の日向から東へ東へと進行し、反抗する勢力を倒し懐柔し奈良の橿原の宮に入って天下を治める事となります。この後は、第23代推古天皇まで、天皇の系譜やエピソードが語られています。

漫画のルーツ

 漫画のルーツは、鳥獣人物戯画にあると言われています。京都の高山寺に伝わる絵巻物で、京都国立博物館と東京国立博物館に収蔵されています。京都や奈良の寺社を巡っていると、多くの絵巻物を目にします。12世紀の「鳥獣人物戯画」に描かれた動物達は人間のような動作でマンガチックですが、吹き出しが付いていません。「源氏物語絵巻」や「信貴山縁起絵巻」の様に、絵と文字で物語が進行していく方式がより漫画に近いような気がします。

  海外の歴史有る教会に行くと、キリストの物語が絵や彫刻で教会内に刻まれていますが、文盲のために絵だけで表現したものと異なり、日本の絵巻物は娯楽的要素が強く文字による説明も付いていて日本独自に発展してきたものだと思います。

ところで、朝日新聞に1970年代の少女マンガランキングが出ていました。一位は池田理代子「ベルサイユのばら」、二位は山本鈴美香「エースをねらえ!」、三位はいがらしゆみこ「キャンディ・キャンディ」、四位は大和和紀「はいからさんが通る」、五位は美内すずえ「ガラスの仮面」でした。「ガラスの仮面」は、1976年に連載開始して、まだ結末を終えていない長編のギネスものです。他には、八位「パタリロ」、九位「スケバンデ刑事」八位「ポーの一族」、十二位「王家の紋章」があります。

少女漫画の原点は、1953年の手塚治虫の「リボンの騎士」に始まります。1962年の赤塚不二夫「ひみつのアッコちゃん」、1966年の横山光輝「魔法使いサリー」、1968年の浦野千賀子「アタックNO.1」などを経て、少女マンガが花開いた1970年代に突入します。

清少納言

今から約1000年前の平安時代に、一条天皇の中宮定子(藤原道隆の娘)に仕える才気あふれる女性がいました。清少納言が使える定子は10才年下でしたが教養深く、自身に溢れた晴れやかな后として、清少納言の憧れの人でもあり心が通い合う人でした。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」の流れるような文章で始まる「枕草子」は、定子の華やかな後宮での日々が感性溢れる言葉で綴られています。

現代と同じ感覚で面白いのは「なんでも人の事をうらやましがり、自分の身の上をこぼし、人の噂話が大好きで・・・、ほんのちょっと聞きかじったことを、元々知っていたように、とくとくと人に話すのも、ほんとうに腹立たしい。」や「めったにないものは、姑にほめられるお嫁さん。毛がよく抜ける銀の毛抜き。・・・」、「むしゃくしゃするものは、急ぎ物を縫うのに、うまく縫えたと思って針を引き抜いたら、なんと糸の端を結ぶのを忘れていたこと。また、裏返しに縫ってしまったこと。・・・」、「はらはらして困るものは、当人が聞いているのを知らずに、その人の噂話をした時・・・」、「体裁が悪いものは、他の人を呼んだのに、自分かと思って出てしまった時・・・」、「とたんに幻滅するものは、男も女も言葉遣いの卑しいこと・・・」、「世の中でやはり一番嫌なのは、人に憎まれること・・・」などなどです。

また、話し上手で人を引き付ける定子との即興の歌詠み、知的で機知に富むやりとりは、愛する人に認められる幸福に溢れているようです。また、後宮に出入りする男性貴族とのやりとりは、ユーモアやセンスに富み、馬の合う人との楽しい会話が目に浮かんできます。千年前に存在した現実の世界なのです。

993年に清少納言は定子の後宮に宮仕えを始め、995年に定子の父藤原道隆が病死すると権力は弟の道長に移っていきます。996年に定子の兄伊周(これちか)・隆家の従者が花山院(かざんいん)に矢を射かけるという事件により左遷され、999年に道長の長女彰子が入内し、1000年に定子が出産後に25歳で亡くなり清少納言は7年間の宮仕えを辞します。

紫式部

「源氏物語」の作者である紫式部は、宮仕えの回顧録である「紫式部日記」を残してくれています。定子が亡くなり清少納言が宮廷を去った5年後の1005年に中宮彰子のもとに宮仕えを始めた紫式部は、定子時代の華やかな後宮を懐かしむ貴族たち、その時代に永遠の生命を吹き込んでいる「枕草子」を越え、中宮彰子の時代を作る必要があったのです。清少納言の批評「清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人だったようです。あそこまで利口ぶって漢字を書き散らしていますが、その学識の程度はまだまだ足りない点だらけです。彼女のように、人との違い、つまり個性ばかりに走りたがる人はやがて見劣りし・・・」を紫式部日記に残しています。

出仕前は、源氏物語の作者として気取っていてインテリで人を見下す人と思われ、毛嫌いされていたのですが、後宮でうまく生きていく術を身に付け徐々に馴染んでいく様子を赤裸々に綴っているのは、人に見られない日記という安心感からでしょうか。日記は、彰子の初めての出産が間近な様子から始まります。

中宮彰子と紫式部が、夜を徹して源氏物語を豪華本に仕立てている様子が記されています。一条天皇が読むのを心待ちにしている源氏物語の続編を制作し、里帰りからのお土産にしようとしている、かいがいしい彰子が印象的です。その際、道長が「寒い中こんなことをなさる子持ちがいようか。」と言いながらも、上質の紙や筆などを持参して応援しています。その紙や筆を右から左に彰子が紫式部に与えると、道長が紫式部に「お前と言うやつは、うわべは取りすましているが、ちゃっかりしている。」と言っており、ほほえましい情景が見えてきます。

1011年に一条天皇が崩御、1016年に彰子長男が御一条天皇、1017年に二男が皇太子、紫式部は1019年頃まで彰子に宮仕えします。写真は国宝紫式部日記絵詞の格子からのぞいている紫式部です。2000円札の裏のデザインに採用されています。

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物語

平安時代初期の「竹取物語」は、日本で最も古い物語で「つくり物語」です。「古事記」や「日本書紀」、「日本霊異記」などに取り入れられた神話や伝説と異なり、作者の想像力から生み出された架空の物語です。これに対する「歌物語」は、和歌を中心に構成された物語で、「伊勢物語」が代表作です。物語は、平安時代に発生した文学の様式で、「竹取物語」の流れは「宇津保物語」「落窪物語」を経て、「源氏物語」に到りました。

国がまとめた歴史書(六国史)の後を継ごうとして書かれたのが、藤原道長を中心とする藤原氏の栄華を、はじめて仮名で書いた歴史物語である「栄華物語」でした。これに続いた「大鏡」も藤原氏の繁栄を描いた歴史物語です。

軍記物語としては、平将門の反乱を描いた「将門記」、平安時代の終わりに保元の乱や平治の乱が起こり、武士が歴史の表舞台に登場してきます。これを描いたのが「保元物語」や「平治物語」です。平清盛を頂点に平家の栄華と源氏に敗れた平家一門の悲劇を描いた「平家物語」や南北朝の動乱を描く「太平記」は軍記物語の代表作です。

この軍記物語の流れは、室町時代以降、「御伽草子」に代表される説話集になっていきます。

古典の出だしベスト5

流れる様な古典の出だしは、素晴らしく、覚えておきたい名文です。

  一位の枕草子は長く引用しました。「春は曙。やうやう白くなりゆく山際(やまぎは)すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、おかし。雨など降るも、おかし。秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとおかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。冬は早朝(つとめて)。雪の降りたるは、言うべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。」

  二位は、平家物語です。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅(さら)双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。おごれる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛(たけ)き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」

  三位は、方丈記です。「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人とすみかと、またかくのごとし。」

四位は、源氏物語です。「いずれの御時にか、女御・更衣あまた侍(さぶら)ひ給ひける中に、いとやむごとなき際(きわ)にはあらぬが、すぐれて時めき給う、ありけり。」

五位は、徒然草です。「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆく由(よし)なしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそもの狂ほしけれ。」

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